2016年11月6日日曜日

退行 再推敲 Winnicott の部分

対象関係論における退行

Winnicott の退行理論

Winnicott の退行の理論は、それを治療の根幹に据えたという点で特筆すべきであろう。彼の理論の骨子は比較的明快である。幼少時に親からの侵害を受けることで偽りの自己が生じる。患者の病理の理解や治療は多かれ少なかれ、この偽りの自己の程度やその社会生活に及ぼす影響に関係する。そして分析的な治療は治療関係において、その侵害が起こった時期までさかのぼることと不可分であると考える。Winnicott は分析過程での重要な特徴はすべて患者に由来すると考える。治療において治療者は必然的に何らかの失敗を含むことになるが、それ自体が患者の無意識の希望を刺激し、過去の侵襲の状況が転移的に再現される。その際患者は解釈という分析の言語的な介入を利用できないので、抱えるというマネージメントが必要になる。
 このように治療と退行とは不可分であるものの、Winnicott は同時に、最初から退行を促すような治療態度を是とはしない。「分析家が患者に退行してほしいと望むべき理由などない。あるとしたら、それは酷く病的な理由である(1955)とも述べる。すなわち治療者が意図的に「患者を退行させよう」というのは結局はそれ自体が侵害になってしまうことを示唆する。
らに詳しく見てみよう。Winnicott の退行の理論は「精神分析的設定内での退行のメタサイコロジカルで臨床的な側面(1954)」(北山修(監訳)「小児医学から精神分析へウィニコット臨床論文集―」岩崎学術出版社 pp335-357)に詳しく論じられているが、その論旨は必ずしも明快ではない。その中で彼は症例を3つのグループに分けている。第1は、Freud が治療したような神経症グループ、第2のグループは、人格の統合性がようやく成立した段階の人たちである。そして第3のグループ、すなわち「単一体としての人格が確立される以前ないしそこに至るまでの情緒発達の初期段階を、つまり時空間の統一状態が達成される以前のものを分析が扱わなくてはならないようなすべての患者たち」に当てはまるという。そしてこれらの症例については「通常の分析作業を中断し、取り扱い management  がそのすべてとならざるを得ない」(p336)とする。その場合は退行が十分に促進されることが治療に必要とされる。
 Winnicott の退行理論の特徴は、患者が退行できることを一つの能力として捉えている点である。そしてそれは「初期の失敗の修正の可能性を信じること」であることと言い表される。
Winnicott はさらに二種の退行についても論じている。ひとつは環境の失敗状況への退行であり、その際は個人的な防衛がそこで行われたことを意味し、分析の対象になる。しかしより正常な、早期の成功した状況の場合は、個人が後の段階で困難が生じたときに、よい前性器期の状況に戻る。そこでは個人の防衛の組織ではなく、依存の記憶、環境の状況に出会うのだという(P341)。そしてFreud が扱い記述した症例は乳児期の最早期に適切に介護された症例なのだとする。
分析作業において「依存への退行」が生じる際に備わるべき条件は以下の通りとされる。
1.信頼をもたらす設定の提供。
2.患者の依存への退行。
3.患者は新しい自己感覚を持つ。
4.環境の失敗状況の解凍。
5.想起の環境の失敗に関連した怒り。それが現在において感じられ、表現される。
6.退行から依存に回帰し、自立に向かって順序正しく前進する。
7.本能的なニーズや願望が、正真正銘の生気と活力を持って実現可能になる。これが何度も繰り返される。
この解凍ということについては少し説明がいる。ある特定の環境の失敗に対して、個人がその失敗状況を凍結することによって自己を防衛することができるのは、正常で健康なことであるという。改められた体験の機会が後日生じるだろう、という無意識的過程がそのことには伴っているという。
この凍結、および解凍という言葉の使い方、実は解離性障害の文脈からは特別の響きを感じる。つまりそれは過去の外傷記憶は治療における再固定化を減ることで解毒化に向かうという方向性を示唆しているのである(岡野、2014)
ちなみに筆者にとって一つ気になるのは、Winnicott はのちに紹介するBalint, 土居と異なり、「愛」について強調していないというところがある。愛というそれ自体曖昧な概念の代わりに母親の原初的な没頭や世話、マネージメントなどのタームで治療を論じているのが彼の理論の特徴といえる。