2016年10月5日水曜日

退行 ⑥、Toward the theory of “Dissociation with capital D” ⑩  トラウマ概念再々考 ⑥


退行 ⑥
今大学にジャン・アブラム先生という人がいらしているが、彼女の書いた「ウィニコット事典」に退行の項目がある。いざとなった時のウィニコット頼み、ということで調べてみる。するとそこには刺激的なことが書いてある。
依存への退行は、早期の発達上の失敗により、その時に起きた「まだ体験されていないトラウマ not-yet-experienced trauma」を生きなおす手段として、分析状況において生じる。
これは刺激的である。彼女は言う。「分析状況はおそらく患者が体験する最初の抱える環境であり、そこでの退行により患者はトラウマを生き、それを扱いたいという無意識的な願望を見出され uncover る。退行をトラウマに関連付けて論じているところがイギリス学派らしいラディカルな印象を与える。でもこれは本当にそうなのかもしれない。甘えるということは発達上甘えられなかったことを意味している可能性がある。それは心への傷という体験の形をとっていないかもしれない。すると退行の中で初めてこの体験が成立するというわけだ。
ウィニコットは「精神分析的な枠組みにおける退行の臨床的な側面」という論文を1954年に書いているのだ。それはこの項目を作る根拠にもなろう。彼はその論文で、通常の解釈は役に立たず、セッション中に実際にだっこすることが必要になる患者さんについて書いている、とするが、少し怪しいな。大丈夫だろうか?ウィニコットはさらに、退行が起きるためには、その人に組織 organization があるからだという。1.環境の側の適応の失敗により偽りの自己が発達してしまったこと。

2.複雑な自我組織があることで、退行をする潜在的な能力が存在することが、初期の誤りを訂正する可能性を示していること。


Toward the theory of Dissociation with capital D ⑩

Historically speaking, what Frenczi maintained in the paper was not so much different from what Freud stated. Ferenczi was dissuaded by Freud himself against presenting in the analytic conference. Ferenczi did and met coll response as Freud himself predicted. The audience’s negative response was reflected on the fact that this paper was never published in the English speaking journal until 1949 in the International Journal of Psychoanalysis, translated by Michael Balint. It is well known that Freud attempted to prevent this paper from being published while Ferenczi was still alive. His attitude toward Ferenczi became very sour toward the end of Ferenczi’s death in 1934.
It is remarkable that Freud never attempted to sever his tie with Ferenzci when the former learned a lot about the latter’s various “heroic” analytic approach, including kissing, holding the patients etc.

トラウマ概念再々考 ⑥

解離性障害の位置づけ
精神医学における解離性障害の認知度は最近とみに高まりつつあるという印象を受ける。臨床家の間から、解離性障害を有する患者に出会い、その扱いを知りたいという声をしばしば耳にするようになった。解離性障害は長い間ヒステリーと同一視されるという言わば不遇の時代を超えて、その存在意義が高まりつつあるといってもいい。
1980年のDSM-IIIにおいて解離性障害はヒステリーの呼び名を離れて、精神医学で事実上の市民権を得た。それ以来解離性障害は、ICDにも収められ、それから30年以上たつが、その診断基準はいくつかの変更を加えられてはいるものの、その位置づけはより確かなものとなっている印象を受ける。識者の間での解離の理解のされ方が反映されているのがDSM-5といえよう。そこでそれをもとに診断的な位置づけを追いたい。

1980年に出されたDSM-IIIには一つの特徴があった。それは「記述的でありかつ疫学的な原因を論じない」という原則である。おそらく米国における精神医学を長年牽引した精神分析理論の持つ原因論的、因果論的な傾向に対する揺り戻しの意味を持っていたのであろう。しかし2013年のDSM-5が画期的であったのは、それが「トラウマとストレス因関連障害 Trauma and Stressor-Related Disorders」という大きなカテゴリーを作ったことである。つまりここに入ることになる疾患群はそれが心的トラウマという病因を有しているということを事実上明らかにしていることになる。そして解離性障害もここに入るという議論があったものの、最終的に除外されたという経緯がある。その根拠としては、解離性障害の診断基準のどこにも、トラウマの既往やそれと発症との因果関係がうたわれていないという点が大きく関係していたと考えられる。