ある講演 1
よろしくお願いします。本当に皆さんが、解離の患者さんに会うことは少ないのかっていうと、案外そうでもないだろうなと思うんですね。昔、言われていた多重人格というのは、人格がいくつか存在するというような意味で、人によっては一般人口の1パーセント程度に見られるのではないかと言います。そうすると統合失調症と同じなわけです。だから解離の患者さんは案外いろいろな所にいらっしゃるし、かなりの部分が、それを表現することを、かたくなに拒んでるというか、なるべく秘密にしておきたいってのもあるだろうし、一時期そういう状態があって、数年間、あるいは数カ月間、そういう状態が続いて、また消えてしまうみたいな感じなんですね。ですから、そういう意味では、いろいろな所で恐らく、皆さん出会っていらして、気が付かずに過ごしてしまったこともあるかもしれないです。
ただすごく誤った出会い方と私が考える扱い方をしてしまうこともあるでしょうし、そういう意味では、ある程度、こういう状態に対して意識をお持ちになるってことは、大事ではないかというふうに思います。
大体1時間45分ぐらい、このままでいくと、途中で一回休むことになってると思うんですけど、私は時々、むせ発作と私が呼ぶ状態になりまして、最近4、5日に一遍ぐらい、5分ぐらいむせ発作になって、そうすると声が出なくなりますから、もしそれが起きたとしたら、自然と治りますので冷静に見守ってください。実は講演をしたときに一度も、それ起きたことないんですけどね。
ある患者さんがこんな話をしていらっしゃいました。
<中略>
<中略>
この表現を読んで、どんな印象をお持ちでしょうか。会場の先生に聞いていいでしょうか?
A先生 まず取りあえず、それをそうせざるを得ないぐらい、コントロールが利かない状態なんだなというふうに感じます。
岡野 そうすると例えば、診断ということを考えた場合、どういうことが頭をかすめますか。
A先生 10代の頃に何かあったのかな。
岡野 ああ。この方は解離でしょうか。
A先生 少し、その時期にトラウマとなるような未解決のものがあって、そのまま取り残されている、それ解離というふうなジャンルに入るのかなっていうふうに思います。
岡野 はい、分かりました。そういうことで非常に結構だと思うんですけども、このケースについてある解離の研究会で話したら、ある有能心理士さんは「これはDID、多重人格だろう」というふうに言うんですね。またある精神科の先生に訊ねると、「これだけじゃ何とも言えない」ということでした。
実はこの方は、うつ病の患者さんなんですね。特に多重人格ではないです。ただしこの様な表現を聞くと、私は感慨深くなっちゃうんです。どういうことかというと、通常、多重人格という症状を現してない彼女でさえ、心の中に小さい頃の自分みたいなものがいて、そして、そこからが大事なんですけども、それが勝手に動きだすっていうところなんですよ。小さい頃の自分をイメージすることができるだけじゃなくて、それが、あたかも命を持ったかのように動きだして、自分はそれに驚いてしまう。そして心は二重映しみたいになってる。一つは過去の私というのが中にいて、暴れてどうしようという部分。そしてもう一つの自分は、大人で、しかし子供の頃のメンタリティーになっちゃってる、というところがある。でもなり切ってはいないのです。解離性の患者さんと違うのは、昔の私が出てきて、「あんた何なのよ」というふうに、直接けんかを始めるということはないんです。
Toward the theory of “Dissociation with capital D” ⑭
Although Fairbairn did not follow suit in neglecting the
notion of dissociation, his definition of schizoid phenomenon that he
associated with dissociation is unfortunately too ambiguous. He states that there
are three features of schizoid state, including omnipotence, isolation and
detachment, and concern for inner reality, which did not include any nuance of
mental functions being separated or “split” apart, as the original idea of
dissociation and hypnoid state connoted. Fairbairn might have observed this
schizoid phenomenon in various kinds of psychopathology, especially against the
background of Bleuler’s proposal of “schizophrenia”, which also appeared to
have not only psychotic features but also dissociative aspects. Although
schizoid problem became one of the main focuses of the British object relations
theory, it grew apart of the notion of dissociation. It was Guntrip who summarized
the “schizoid problem” in his chapter 6 of his book. (Harry
Guntrip (1971) Psychoanalytic theory,
therapy, and the self, Basic Books.)
“As Winicott stated, if the care of “good enough mother” was unavailable, a child splits off
true, vulnerable self underneath false self. “ “ If an external defense of cold and emotionless intellectual person hides a vulnerable, greedy and fearful infantile self, it would eventually appear in the world of dreams and fantasy".