解離の概論および治療(3)
①離人-現実感喪失障害 Depersonalization-derealization disorder
離人体験は、従来から精神医学の考察の対象になってきた。離人体験とは自分の心や体に対する生き生きとした現実感が失われた状態である。他方では周囲の世界に対する現実感が喪失した状態、つまり身体や感覚が遊離した状態すなわち現実感喪失障害 derealization disorder が従来より論じられているが、DSMにおいてもICDでも両者が一括して「離人・現実感喪失障害」として分類されることになる。従来離人障害は自我障害の一つとして、すなわち精神病性の障害として概念化される傾向にあったが、近年それが解離性の障害として理解され、またその病理がしばしば外界に対する非現実感を必然的に伴っていることから、両者を別々に論じる理由がそもそもなくなったものと考えられる。この病理はそのほかの解離性障害においてしばしば観察されるものの、それが単独で精神病や感情障害などの様々な精神疾患において出現することが知られる。そのほかの解離性障害と異なる点は、それが意識のありようの不連続性を必ずしも伴わないことであろう。以下に論じる解離性障害は何らかの形で記憶の障害と関連してくるが、この「離人・現実感喪失障害」はその記憶の連続性が保たれている。逆に言えばそこに健忘や人格の交代が伴っている場合には、別の解離性障害の診断が優先されるべきである可能性がある。
なおこの離人・現実感喪失に関しては、その生物学的特徴が得られている事も、この障害の独自性を支持していることになる。それは a. 後頭皮質感覚連合野の反応性の変化、 b. 前頭前野の活動高進、 c. 大脳辺縁系の抑制、である。
また離人・現実感喪失についてはHPA軸(視床下部-下垂体-副腎皮質軸)の異常も見られるという。すなわちHPA軸の過敏反応(高いコルチゾールレベルと、フィードバックによる抑制の低下)のパターンを示すということだ。(参考までにうつ病やPTSDは逆に鈍化したHPA軸の反応パターンを示すとされる。)このような研究結果から分かる通り、離人・現実感喪失障害がクローズアップされた背景には、この大脳生理学的な所見がみられることが大きく働いているようである。
二つの「抄録」
二つ抄録を書かなくてはならなくなった。
外傷性精神障害の心理療法(抄録)
外傷性精神障害の心理療法には様々な技法が用いられ、EMDR,暴露療法、催眠、タッピングなど数多くが提唱されている。しかしより重要なのは、クライエントの訴えや生活史について、外傷の視点から捉えなおすという心構えであり、そのための訓練であろう。外傷的な視点は、クライエントの生活史に実際に明らかな外傷の既往が存在するかしないかに関わらず有用であるが、それはしばしば通常の心理療法では回避され、敬遠される傾向にある。なぜならクライエントをトラウマの犠牲者として扱うことは、そのクライエントを「甘やかし」、免責する一方では、その内省や自己理解を促す方針とは相容れないものとして捉えられやすいからだ。しかし洞察を促すアプローチと外傷の視点は本来は対立的ではなく相補的であるべきであろう。講演ではいくつかの事例を紹介しつつこの点についてさらに論じたい。
脳科学と精神療法(抄録)
現代における脳科学は飛躍的な発展を見せる一方では、精神療法がそれを取り込んで新たな視点を生み出すには至っていない。脳科学が描き出す脳の機能は極めて複雑で、その全貌を知るには程遠いという思いを抱かせる。しかしその一方では、私たちが日常臨床で依然として依拠しているのは、漠然とした因果論や根拠が十分とはいえない象徴的な意味づけや解釈である。そこで論者が提唱するのは脳科学が指し示す新しい無意識の理解であり、それに基づいた治療理論である。一世紀前にフロイトが考えたように、クライエントの心への精神療法的なアプローチは、その無意識へのアプローチとして捉えることが依然として可能であろう。しかしその無意識のあり方は、フロイトが想定したそれとはかなり異なり、モジュール的かつ離散的であり、複雑系としての性質を十二分に有する。そして無意識は私たちの心身の働きのうち、フロイトが想定したよりもはるかに大きな部分を担っている。新しい無意識の理解に立った治療論は、クライエントの心を探索し、その深層に迫るという立場よりはむしろ、主体性を持った存在としてクライエントと関わるという立場を要請する。その根拠を講演では述べたい。