2016年10月24日月曜日

退行 ⑪

バリントの退行概念 

(以下の文章は、「治療論から見た退行(中井久夫訳)」(特にP193~)の文章を下敷きにしているが、中井先生の翻訳はやはり特徴的なので、私の訳に一部なおしてある。たとえば new beginning は「新規撒き直し」ではなく「新しい始まり」にしてある。もちろん中井先生の味わい深い訳には深く敬意を表する。

 マイクル・バリントの考察は、フェレンチの臨床経験に対する詳細な考察に始める。そしてその体験から私たちが学ぶべきことを模索しつつ、退行を両性と悪性に分ける。
良性の退行とは、
相互信頼的な、気のおけない arglos、気を回さない関係の成立が難しくない。
退行は心の新しい始まりに至るものである。そして現実への開眼とともに、退行は終わる。
退行は認識されるためのもの、それも特に患者の内的な問題を認識してもらうためのものである。
要求、期待、ニードの強度は中等度である。
臨床症状中に重傷ヒステリー兆候はなく、退行状態の転移に性器的オーガスムの要素がない。

他方悪性の退行では、
相互信頼関係の平衡はきわめて危うく、気のおけない、気を回さない雰囲気は何度も壊れ、しばしば、またもや壊れるのではないかと恐れるあまり、それに対する予防線、補償として絶望的に相手に纏いつくという症状が現れる。
悪性の退行は、新たらしい始まりに到達しようとして何度も失敗する。要求や欲求が無限の悪循環に陥る危険と嗜癖類似状態発生の危険が絶えずある。
退行は外面的行動をしてもらうことによる欲求充足を目的としている。
要求、期待、ニードが猛烈に激しいだろう。
臨床像に重傷ヒステリー兆候が存在し、平衡状態の転移にも退行状態の転移にも性器的オーガスムの要素が加わる。
 この単純明快な分類がいかに多くの臨床家の役に立ったことか。バリントは次の点を主張することを忘れない。「退行とは一人の人間の内部で起きることでなく、関係性の産物なのだ。」