2016年10月25日火曜日

退行 ⑫

このところ、このブログの量が低下している。他に用事が多いのだ。

松木邦裕の見解

松木先生の論考は出色の出来である。これを引用しないことには始まらない。
問題の論文は「松木邦裕(2015)精神分析の一語 第8回 退行 (精神療法 41.5.p743753)
彼は精神分析の中でも退行概念を無視しているのが、英国クライン派であるという。クライン自身は妄想ー分裂ポジションへの退行、前性器段階の退行、などの考え方をしているが、その後継者たちには、明らかに退行を論じない立場をとっている人たちもいるという。そしてビオンの次の言葉が面白い。「ウィニコットは、患者には退行する必要があるという。クラインは患者を退行させてはならないという。患者は退行すると私は言う。」(Bion,1960 cogitation, Karnac Book, London)何か、北風と太陽の話のようだな。それから松木先生は、メニンガー、バリント、ウィニコットの3名の分析家の退行理論をまとめる。
 この中でバリントの考えを松木は比較的単純なものとしてとらえている。彼にとって退行とは「すべてが原初的愛の状態に近づこうとする試み」であるという。例の primary love 原初的愛の考え方である。また例の良性の退行、悪性の退行については、バリントが「認識されることを目的とする退行」と「充足を求める退行」と言い直しているという。そしてこれを分けるものとして治療者の態度があげられている。「治療論から見た退行」から松木が引用するのは以下の文章。「分析家の技法と振る舞いが万能的であるほど、悪性退行に陥る危険は高まる。逆に分析家が患者との間の不平等を残らせるほど、分析家が患者にとって押しつけがましくない普通の人に見え、退行が良性になりやすくなる。」


バリントの理論の一番の特徴は、この治療者の態度により退行は良性にも悪政にもなるという考え方だろう。松木先生にまとめてもらったわけだが。ここら辺は私は全然違う。もちろん相性もあるが、これは人によって全然違うという気がする。対応が(不幸にして)良いと、逆説的に悪性の退行を引き起こす、ということもあろう。相性が悪いと、そもそも患者さんが治療者を相手にしないので、退行そのものが起こらない、とか。ともかくも治療とはすなわち退行で、それを治療者がどう取り扱うかが問題だ、というのがバリントの主要な関心事であった。