2016年10月19日水曜日

ある講演 ⑤

 最近ツンデレなんて言葉を聞きますが、ふつうはツンツンしてて澄ましている印象の人が、実は本当はこんなに感情豊かだった、とか、あるいはその逆とか。普段はとても優しいはずの人が、お酒を飲むとすごくねちねち意地悪になったり、暴力的になったりとかいう場合に、その人の心の別々の部分は一体どういうふうにつながってるんだろう、と皆さんも疑問に思うでしょう。別の部分を普段から抑えていたんだろうと考えると、その人はすごい大変な生活をしてるんじゃないかなって考えたりする。でも解離ということを考えた場合には、別々の心の部分というのは、箱に一応入って格納されてて、今はこの自分でやっているのであり、状況が変わると別の部分に置き換わる、という仕組みを考えると、あまり心を複雑なものとして考える必要はなくなってくる。この人の行動は、何らかの無意識の作用が働いて、心のある部分を抑圧することで成り立ってるんだろう、みたいなことを、あんまり複雑に考える必要はなくなってきます。この人は普段はAの路線でやってる。私が知ってるAさんはそうだ。でも、この人の仕事は、学校の先生で、生徒の前では、すごい怖い先生らしい。つまりBの路線でやっているらしい。ABはそれほど違っていても、うまく使い分けられているのだ、と考えると分かりやすい。そういうふうに考えるとこの解離というとらえ方は、解離性障害の人たちについて考えるときにのみ役に立つかっていうと、案外そうでなかったりするということがあります。
 昔、フランスのパリにシャルコーという人がいました。1880年ぐらいに活躍した人です。今から百数十年前ですね。実は、この解離と抑圧という今の議論を、最初に生むきっかけになったのは、このシャルコー先生でした。シャルコー先生の火曜講義というのがあって、そこには解離性の症状を次々と出す、そしてシャルコー先生の暗示によって、いくらでも解離性の症状をデモンストレートすることができる患者さんがいました。シャルコー先生は彼女に催眠をかけ、「不思議なことが起きるでしょう、ヒステリーの患者さんってのは、こんな症状も、あんな症状も出せますよ」。「まひが起きますよ。はい、まひを起こしてください。ほら足がまひした。これがヒステリーの症状なんですよ。はい、失語症になってください。ほら声が出なくなったでしょう。こういう症状は出るんですよ」、みたいな形で、いろんな症状を患者さんに出させて供覧させるということがありました。火曜講義に出てそれを見た人たちがいて、そのなかにフロイトとジャネがいたんです。もちろん同じ講義に出たというわけじゃないんだけども、フロイトはシャルコーの火曜講義を見て、「何てすごいことなんだ」。ジャネはその前から解離の研究をやってたんだけども、パリに出てシャルコー先生の講義を聴いて、ヒステリー、あるいは今でいう解離性障害を目の当たりにして、「シャルコー先生はすごい!」などと感心して、それから、それぞれの理論を立てたわけです。
 フロイトは、それに対して抑圧理論を立てたんです。ジャネは解離理論を立てた。この辺は先ほど言った通りです。そして両者は対立することになります。有名な火曜講義の絵があり、その真ん中にいてシャルコーに支えられているのが、ブロンシュ・ウィットマンさんという女性です。この人は後で、かなり演技をしていたということを言いました。シャルコー先生が「この症状を出して」って言うと、ウィットマンさんは先生の言うことを聞かなくちゃいけないっていうんで、かなり演技をしていたということです。ちなみにこの絵の中に、フロイトとかジャネは描かれていません。
 一方のフロイトは「ヒステリー研究」において、最初はブロイアーとともに解離現象に着目したのですが、やがてこの概念には満足できずに、欲動論とセットになった抑圧理論に移っていったのです。もうちょっと理論的な説明に我慢していただくと、ヒステリー研究をフロイトと書いたブロイアーという人はフロイトより十数歳年上ですけども、金銭的にいろいろフロイトを援助をした人でもあります。その人とフロイトがヒステリー、今で言う解離性障害についての本を書いて、ブロイアーさんは解離ということに注目したわけです。ただし彼は解離という言葉を使わずに、類催眠状態という言葉を使いました。
 類催眠状態というのは、今で言う解離と同じことです。ブロイアーさんが言ったのは、ある心の衝撃を受けた場合に、人間の心は一種のもうろう状態になって、そこで解離が生じるということです。ところがフロイトは、その類催眠状態、解離状態という理論について、最初は賛成していたんだけども、そのうちに反対するようになりました。フロイトがブロイアーに対して、反対して唱えたのは、次のことです。「解離みたいなことは起きなくて、そこで人格が二つに分かれるみたいなことは、あり得ないことだ。」それは必ず、意識が思い出したくないことを、心に押しやることによって生じることなのだ、と考えた。そういう意味では、フロイトは、あくまでも心は一つというふうに考えたというところがあります。
 フロイトは、なぜ類催眠状態・解離状態を棄却したかというと、思考が病的になるのは、それが自我の外にとどまるからだが、そこで類催眠状態という概念を用いるとしたら、いかなる心理的な力も、抵抗も起きる必要はないことになる。意識のスプリッティングは、あくまでも患者の意図的な行動に起き得るべきだ。それが精神力動学である、という考えでした。これは、さっき言った説明と同じです。すなわち心の中で、ある見たくないもの、思い出したくない記憶があると、心はぎゅっと力を込めて、それを下に押しやる。そうすると忘れたくない記憶は「忘れないでくれ」と言って騒ぐ。それは抑圧されているもの。そもそも人間の心っていうのは、そういうふうにして成り立つというふうに考えた。
 ところがブロイアーさんは、あるトラウマが起きると心が解離状態になって、スプリッティングが起きて、そうすると心の底に箱が出来上がって、その箱に、ある別の人格状態が閉じ込められるっていうふうに考えた。そうすると、フロイトの場合の意識っていうのは、というか心っていうのは一つなんです。で、意識があって、無意識があって、この奥に抑圧されたものがある。解離っていうのは、意識Aと意識Bが分かれるといった、私が一番最初から説明している見方です。あたかも情報処理中枢というのがABという別々のもの、あるいは解離の患者さんの場合、もう5とか、10とか、20とかいうオーダーで起き、それぞれが自律性を持つということが起きます。
 そうするとBさんという子どもの人格が出てきた場合に、大人の人格AさんはBさんのことを、ある程度、知っていることになります。ある程度コントロールしているから、それに対する扱い方っていうのは、「Aさん、きょうはBちゃんという子どもの人格を出すことでもって、何を表現したいんでしょう」というふうになる。それが恐らく分析的な扱い方です。でも解離的な理解をする治療者の扱い方は、「Bちゃん、初めまして。こんにちは。急に出てきて怖くない?」。あるいは「どうして出てきたの? 何か言いたいことがあったの? 先生のこと、初めて見たの?」。それが解離を扱う際の本来あるべき姿です。正しい扱い方というふうに、私が言わなくちゃいけないのは、患者さんの体験から考えた場合に、Bちゃんという子どもが出てきて、本当に訳が分からなくなっていて、そして、ここ、どこなんだろう。目の前にいるお兄さん、誰なんだろう。お兄さんでも、おばさんでも、おじさんでもいいけど。そうすると、そのおじさん、おばさんである治療者から「初めてで怖くない?」というふうに言ってほしい。もし、それを言わないと子どものBちゃんは怖くて、また中に入っちゃったりするかもしれないのです。

           <以下省略>