2016年10月20日木曜日

ある講演 ⑥

 父親から虐待されるというケースを考えた場合は、それを母親に言えない、あるいは母親がそれを取り合ってくれないということが起きます。また母親に虐待されたら、父親は仕事に忙しくて、それどころじゃないということで、話を聞いてくれず、結局気持ちを誰にも表現できない、ということが生じます。こうして非常に孤独な子供時代を過ごすという状況は、多重人格を形成する一つの重要な要因になります。そうすると親の前で表現できない、例えば子どもらしい自分は、将来、自分を分かってくれるような、自分を優しく包んでくれるような対象が見つかったときに、初めて解放されるわけです。
 Tさんの場合、自分を分かってくれる優しい旦那さんに出会ったのは、40代になってからです。そうしてさまざまな人格部分が、いわば箍が外れる形で解放されて、一時的に解離症状が、ワーッと花が咲く状態になる。いろんな人格は、入れ替わり出てくるということが起きてくる。
 そしてその中で恐らく一番ケアしてほしい人格、子どもの人格等が、これまで遊んでもらえなかったということを、父親代わりとなったその旦那さんとの間で体験するということが起きるわけです。
 
  <中略>

 次の方を紹介しましょう。

  <中略>


 これは私が患者さんの話を聞いて、こんな感じのことが起きてるのかなというふうに、イメージを、あるイラストレーターに描いてもらったものです。この絵ではマイクロバスの一番前の女性がハンドルを握ってるんですよね。そして後ろの席に幾つかの人格が存在してるという模式図です。要するに解離性同一性障害の場合には、運転台に座るのは、いつも1人で、だから各人格は一度に1人しか出ないわけです。言葉を話すのは1人ですからね。そして他の人格は横から眺めていたりとか、後ろのほうに行くと、もう寝ている状態だったりするわけです。だから多重人格の中には100とか、200とかいう人格を持ってるというふうに記録されてる人たちがいるんだけど、あまり驚くにはあたらず、それらのほとんどが寝ている状態です。映画で言うエキストラのようなものだ、と私は言うんですけど、エキストラ人材みたいに、あんまり本人にとって重要じゃない人格は、細分化されているんだけども寝ている状態。そして重要な幾つかのキャラクターというのは、運転台の周りで、自分が今度は運転してやろう、みたいな感じで、取って代わろうとしてる子どもの人格がいたりする。そういうような存在として描くことができるんです。
 これも私の下手な絵なんだけども、この運転台に座っている主人格にとっては、しばしば後ろが見えない状態なわけです。そして後ろの人格は前が見えているということでもって、主人格、あるいはより正確には基本人格のことですが、生まれながらの名前を備えているのです。つまり戸籍名がAさんとすると、彼はちっちゃい頃からAさんだった。虐待を受けて気を失ったのもAさん。そのAさんは、運転台にずっと座っていて、後ろのことを一番よく分かっていなくて、他の人格のことを知らない。ところが後ろにいる人格、例えば人格Bは、しばしば子どもだったりするんですけども、よく前を見渡せていて、実はどんな人格が、どんなことをやっているかを、すごくよく見えていたりします。そうするとAさんにとっては、後ろで起きてることは健忘を残すわけです。健忘、要するに、後ろの人格がやったことに関しては、全然覚えてないというじょうたいになる。
 この人格に関しては、このBさんとかCさんが、何かをしてるときにも後ろで見てるので、大体、記憶を持っているということが起きる。だから、それぞれの人格は、それぞれ、どの人格とコミュニケーションを取ることができて、どの人格と敵対的で、どの人格と共闘を組んでてみたいな、派閥みたいなものをつくってるということは、臨床上うかがわれます。それで、こういう絵を描いてみました。
 これは私たちの多重的な心の在り方と、多面的な心の在り方です。多面的な心の在り方っていうのは、自分たちは保護者だったり、講師だったり、臨床心理士だったり、母親だったりという、いろんな多面体の、いろんな面を持っていて、それぞれがクルクル回転することでもって、いろんな面をパッパッと切り替えて表現することができるんだけども、多重人格の場合、輪切りになっていて、それぞれの間にスイッチングが起きなくちゃいけない。スイッチングが起きると、Aの人格はB、Bの人格はCみたいな感じで、移っていくしかないという、そういうような形を取る。それは社会的には不便になるわけです。


質問者 人物を呼び出すときは、催眠療法で呼び出すわけですね。それで一番最初、そういうふうな診察のときに、誰を呼び出すというか、そういうのは分かるんですか。

岡野 患者さんがまず見えて、今はお幾つですか、どなたとお暮しになっていますか、今日はご気分はどうですか、どんな生活をなさっていますか、みたいなことを聞くじゃないですか。通り一遍のことを聞くわけですよね。最初のアセスメントの部分に当たるのは、どの患者さんと最初に会っても、そうですね。そして一段落ついた時点、15分ぐらい聞いたときに「ところで」と言って、解離性の疑いがあるという場合には、より早く、こういう質問をします。「お名前はAさんですね。今、私がAさんというふうにお呼びして、実感がありますか?」って聞くわけです。そうして「実は」ってことになると、「そうではないんですね。なんとお呼びしたら、一番実感が湧くんですか」というふうに聞いた場合に、「Bなんです・・・」みたいな形で、そこから話が始まるとしたら、それからは、もう話が早くて、「あなたの中に幾つかの状態があるということを、おっしゃってるんですね」と。「じゃ、こうやってBさんと話してるとき、Aさんは、どのくらい後ろで聞いてるのか。どうなんでしょう?」みたいなことを、すごい具体的に、淡々と聞いていくという形で入っていくわけです。

<以下省略>