2016年10月2日日曜日

自己愛と怒り ④

自己愛。これが少し遅れていたな。
実は昨日ひとつの大きな発想があった。私はいつも大人が体験する怒りの9割は自己愛憤怒だ、といろいろなところで公言していた。しかし「恥と自己愛トラウマ」で、実はそうとは限らない可能性についても書いてあり、ここに自己矛盾があった。身近な例で申し訳ない。新幹線に乗ることが多いので。新幹線や飛行機には有名な「肘掛問題」がある。自分が最初に肘を置いているにもかかわらず、となりのおじさんが自分の肘を載せてきて、しかもぐいぐい押してきたら腹が立つだろう。これは自己愛憤怒だろうか?テレビで見たが、コブダイは、自分の岩場に他のコブダイが侵入してきたら、猛然と追い返す。「ばか者!」とコブダイ語で言っているはずである。
コブダイの雄姿
(別にコブダイの例にこだわる必要などまったくないが。生物界はすべてこれである。単にコブダイの写真を出したかったからである。)
ではコブダイの怒りは自己愛憤怒だろうか?これに対する答えは、とても重要である。「自己愛憤怒ではないが、その原型がそこにある。」

昔こんな図を描いた。そこで一番中心部にあるのは、言わばパーソナルスペースの部分。ここを侵入されたら当然怒るべくして怒るだろう。これを守れないのは人間としてのプライドがない場合だ。だから自己愛の怒りの原型は健全な防衛本能である。問題は、人間には想像力があるために、守るべきパーソナルスペースがいつの間にか肥大していくことだ。突然変異して高知能のコブダイなら(つまりこぶの内部が前頭葉で満たされているという不思議な突然変異を考える)、「この辺一体の岩場はオレのもんだ」とか、あの「若いコブダイはオレにメンチをきった、けしからん」。こうなるともう自己愛憤怒になってくる。