2016年9月5日月曜日

推敲 15 ①

15章 自傷と報酬系

自傷と報酬系との密接な関係は、ここまで読んで来られた方にはもはや明らかであろう。世の中には自分を傷つける行為を繰り返してしまうひとがいる。「いろいろなハイがある」の章でもそれを一部描いてみた。自傷行為の存在は心理学者や精神医学者の関心の的であったことは間違いない。それに対する理解の仕方の雛形となったのが、自分を処罰するという意味を持っているというものである。つまり「自罰傾向」である。
私が昔出会った忘れられないケースがある。彼女は20代後半の女性で、最近結婚した同い年の御主人と幸せな日々を送っていたが、徐々に一つの問題が生じるようになった。ご主人が朝出かけることに徐々に耐えられなくなったのである。ある朝、どうしてもご主人が出かけなくてはならないときがあった。すると彼女は自傷行為に及んだのだ。

(中略)


・・・つまり彼女は自分を痛めつけるという形でしかその時の苦しさを耐え抜くことが出来なかったというわけである。
それまで自分を傷つけるということの意味を良くわかっていなかった私は、そこで一つのことを学んだ。彼女たちは精神的な辛さに出会ったときに自らを傷つけることで安堵を得る、ということである。この一見矛盾した行為が自傷の本質であるということをまだ十分につかめないでいた。患者たちはそれをreduce the tension という言い方で最もよく表現していた。つまり彼らの中で高まっていた苦しさを軽減するという意味が、自傷行為には含まれているということなのだ。(実はこの関係はnot liking but wanting と似ていると言えなくもない。)
この自傷行為は人間だけに見られるものではない。たとえばアカゲザルは自分をかむという行為をしばしば見せる。一般に霊長類は極度に退屈すると常同行為をはじめ、終いには自分自身にかみつくという行為に及ぶという。いっぱんに動物がフラストレーションを与えられて逃げ場をなくすとき、それは自分の一部を繰り返し噛むようになることが観察されるという。(以上、National Geographic Blog
The Science of Self-Mutilation Posted by Rebecca O'Connor in Taboo on June 22, 2012
ある心理学者の書いた記事は、自傷行為について一つの重要なヒントを与えてくれる。ロレッタ・ブルーニング博士はRoletta G. Breuning Ph.D は、“Self-Harm in Animals: What We Can Learn From It. Self-destructive behaviors get repeated until they’re replaced.( Posted May 21, 2013 at Psychology Today”Website) で、霊長類の観察を通して、動物が毛を抜く行動は、単なるトラウマやストレスのせいだと理解するわけにはいかないという。サルの子は親が自分の毛を抜くのを見て模倣することもあるという。そしてこれが一種のグルーミングの延長にあるという理論を提唱する。グルーミングは基本的には自分を慰撫する行為self soothing behavior であることは確かだ。動物はそれを相手に対して行い、社会的な結びつきを深めるが、自分に対しても行う。それが度を外した形で生じるのは、ストレスやトラウマに対してそれを回避する手段がない形で追い詰められた状態であるというのだ。
このことを冒頭の女性の例と一緒に考えてみよう。自傷行為は追い詰められて極限状態に置かれて生じた。それは極度のフラストレーションを和らげてくれたのである。それがテンションを和らげてくれる、という意味なのだ。ただここで一つ不思議な現象がある。それは自傷行為は痛みを通常は伴わないということである。それよりはむしろ快感を、ハイを感じさせる。
結局自然が動物に、そして私たちに与えた自傷のメカニズムは以下のものと推察される。動物が極度のストレスにおかれ、そこから逃げられる手段がない場合精神的な崩壊を防ぐために報酬系を刺激するための手段なのだ。そしてそれには極度の退屈さも含まれる。退屈さとは過剰なエネルギーと時間を持っていてもそれを投入する手段を持たない状態だからである。しかし報酬系が直接刺激されるような特別なボタンなどない。そこで非常ボタンが用意されている。それは通常は押されないのは、それが自己破壊的であり、その際は痛みという信号でアラームが鳴り渡り、そのボタンが押され続けることを防ぐ。ところがストレス下では、そのボタンが緊急ボタンとなる。痛みは解除され、直接報酬系に直結するのである。なかなかいい例えではないか。