2016年9月11日日曜日

書くことと考えること ①

精神分析との出会い

書くことが好きかと問われれば、ウーン、と考え込んでしまいます。書くのはおっくうだし、面倒くさい。ワープロの出現でかなり楽になりましたが、それでも机に向かって作業をしなくてはなりません。しかし考えることは好きかといわれれば、ハイ、と即答すると思います。考えることでそれまで疑問に思っていたことについての思考がまとまり、分かった、という気持ちになれるからです。その考えるテーマは主として人の心についてですが、宇宙の由来とか物質の由来、進化についてなどテーマは様々です。しかし一番面白いのは人の心、自分の心です。そんな私が半ば宿命として出会ったのが、皆さんもおなじみの精神分析理論です。かねてから言っていることですが、精神分析理論は人の心を探求する人間が一度は魅了されるものだと考えています。私の研修先の通称「赤レンガ病棟」では、静岡大学の磯田雄二郎先生が、私たち研修医に精神分析の手ほどきをしてくださいました。私は研修の一年目でカールメニンガーの精神分析技法論の原書に出会ったわけですが(なんと大学の生協の本棚にあったのです!)が、おそらく短期間にあれほど耽溺した本はなかったと思います。私のその体験は26歳であったので、それからのおよそ十数年間は、つねに分析理論を考え続けながらの生活であったと思います。その最初の私の姿勢は、とにかく分析理論を学ぶこと、そしてわからなかったり現実の症例とうまく合わないように思える点は、ことごとく私の経験や知識が不足していることに原因があると考えました。そして増々本格的な分析に必要性を感じたわけです。その意味ではアメリカに渡った頃は分析を吸収する時期で、途中からは分析と現実の臨床を徹底的に照合する時期であったと言えるでしょう。
ただし私が精神分析理論に接して感じたのは、私には難しい理屈がよくわからないということだったのです。精神分析研究を読んでも、難しいことばかり書いてある。こんな理屈がわからないと分析を分かったことにはならないのだと自分をムチ打ったわけですが、私はフロイトの女性のエディプスコンプレックスの理論などになると、途端に訳が分からなくなってくるところがありました。一度は飲み込んだつもりでも体験にそぐわないからすぐ忘れてしまうのです。そこから私の長い精神分析を見極める旅が始まったのですが、それが結局17年間のアメリカ生活の最終目的でした。
私の精神分析理論とのかかわりはいろいろなところにすでに書いていますが、考えること、書くこととの関連で触れておきたいことがあります。
私はアメリカでの精神分析理論に触れてその難しさに根を挙げたくなりましたが、ふといくつかの素朴な疑問が浮かび上がり、それを文章にしてみることを考えました。それは簡単に言えば、「分析においては、治療者の自己開示にも治療的な意味がある場合があるのではないか?」ということと「精神分析には、恥の感情がほとんど扱われていない」ということでした。ごく自然な発想でしたが、私が分析を十分に理解していないのかとも思いました。しかし思い切って論文にして、精神分析研究に投稿してみました。1990年代の前半のことです。すると当時の分析研究の先生方はよほど寛大だったのか、それが原著論文として採用されたのです。治療者の自己開示、続治療者の自己開示、精神分析における恥、その続編、その続々編、精神分析における愛他性、解離性障害の分析的治療、その続編などの論文を私はそうやって発表することが出来ました。これはある意味では驚くべきことでした。その頃分析研究に投稿されている論文を私は全然理解できなかったと思いますが、それでも自分の論文が掲載されるというのは一体どういうことなのだろう?そうか、私は私の視点で精神分析と関わっていいのだ、ということを理解したのです。
当時私はアメリカで、自分の日本語アクセントの強い、ボキャブラリーの少ない英語でも精神科医としてやっていけるんだ、という体験を持ち始めていたので、私にとってはこの体験は同時に起きていたことになります。