2016年9月13日火曜日

1½ 章 ⑦、書くことと考えること ③

快感原則を外れる「本能的、常同的、無意識的な活動」について
 以上、人や動物の行動を「快感原則」と「不快原則」の両方に支配されたものとして描いた。しかしこれらの二原則がある程度うまく働くためには、言い換えれば現実原則がうまく機能するためには、その生物がある程度以上に高等である必要があるという事情がある。なぜなら両「原則」とも実際には体験されていない快感や不快を査定ないし検出するために、それ相当の想像力を必要とするからである。下等動物ではこうは行かない。
第●●章で出したヒメマスの例を思い出していただきたい。ヒメマスは産卵の後、一生懸命ヒレをパタパタさせて卵に新鮮な水を送る。でも彼らは自動的に、無意識的に、常同的にひれのパタパタを続けるだけだ。それはすでに一つの回路として脳の中にプログラムされている本能の一部というわけだ。生物が高等になるにつれて、本能による行動の間に出来た隙間を、自由意思による主体的な行動が埋めることになる。しかし、だからといって本能に従った行動が快、不快と無関係というわけでもない。それ自身がおそらく緩やかな、あるいは強烈な快を伴っていることも想像できる。ヒレをパタパタして卵に水を送るヒメマスは、おそらくなんとなく心地いいから続けるのだろう。本能に従った行動それ自身が緩やかな快を伴うのは、その本能的な行動が容易には中止されないための仕組みと考えられる。これが生殖活動などになると、大きなエネルギー消費を伴うためにそれ自身が大きな不快ともなりかねない。だからこそ当然強烈な快に裏打ちされていなくてはならない。メスのヒメマスが産んだ卵に必死に精子をかけて回るときのオスは相当コーフンしているはずだ。そしてこれらの事情は私たち人間にとっても変わらない。食行動、生殖行動など、明らかに本能に深く根ざしている行動には強い快感が伴う。また無意識的に行っている、いわばルーチンとなった行動についても、穏やかな快感くらいは伴っていることが多い。例えば人は決まった通勤路を歩いている時には、その行為について意識化していないことが多いが、おそらくはある種のゆるやかな快を伴っているからそれが続けられるのだろう。だから風邪などをひいて体調を崩しているときにはすぐにその活動は不快に転じてしまうので、少し歩いては見ても、結局はタクシーを呼んだり、道に座り込んでしまいたくなったりするはずである。


書くことと考えること


  書く事で体験を回避、ないし克服すること

私にとって書くことは、それで体験の場から離れ、それを上から見下ろす、高みの見物を決め込むというところがある。これはある意味で大きな問題をはらんでいるのではないかと、自分自身が思うことがある。それは実際の体験を回避する傾向である。そのような考えに至った二つの体験について考えたい。
一つは私が精神科医としてのキャリアを始めたばかりのことである。私の出身大学では精神科が真っ二つに分かれて対立していた。その対立は学生運動の名残であり、いわゆる外来派と病棟派がいがみ合い、それこそ相手への吊るし上げが生じたりするような激しいものであった。医学部を出た後精神医学を専攻するものは、そのどちらで研修を受けるかを自分で決める必要があったが、それは将来どちらの系列の病院に勤務することになるかも含めた、結構大きな決断を含んでいたのである。
さて私は医学部生のころ、これから精神科の研修をする医師として、こともあろうに精神科が二つに分かれてお互いに話し合い歩み寄ることなく対立を続け、研修の機会を狭くしているのはおかしいと主張し、一人だけでも一年ごとにそれぞれの精神科の部局で研修することを要求した。私の要求は今から考えても理にかなったものだと思うが、私の同期の精神科志望の他の6人も含めて、他に両方を回るなどと言いだす研修医は一人もいなかったのである。そんなドン・キホーテのような真似をするのはお前ひとりでいい、という感じであった。また私を受け入れる側の研修先も対応に困ったはずである。それでも一年ずつ外来派と病棟派で私は研修を行ったわけであるが、私の中では初めて両精神科を回った稀有な研修生という形で誰からも評価を得ることなく、かえって両方から相手のスパイとして見られるということになり、実に涙ぐましい体験であった。しかし今となればほとんどだれもそれを知る人はいない。両方の精神科部局はあれほど憎しみ合っていたにもかかわらず、私が留学していている間にあっさり手打ちとなり、合併してしまったのである。
 私としては今から思い出しても大変な3年間だったのだが、実は私の中では一つの区切りをつけることが出来ている。その一つの大きな要因は、その顛末をある本のある章にまとめて書いたからである。それは「恥と自己愛の精神分析理論」という1997年の書で、いわば岩崎学術出版社という組織の力を借りて活字にした、私の体験のあかしなのである。実は私のその章を読んで「先生も大変でしたね」という声をかけてもらったことは一度もない。結局私の独りよがりで、他の人にとってはどうでもいい体験なのである。でも私がそれを受け入れることができるのは、それを活字にすることが出来たからである。どこかに「もう書いたから気が済んだ」というところがある。それ以上体を動かしても事態は変わらない、と思うのだ。私はこのように文章を書くということは、ある意味では体を動かす体験をどこかで抑制する効果があるのではないかと考えるが、同時に一人の人間にできることは非常に限られ、それなら文章の一つでも残した方がましだ、と思ってしまうのだ。私はいろいろな体験を観察することから始めてしまう。これは業のようなものである。
 同じ文脈でもう一つの体験を語りたい。たとえば私は6月に、精神分析家としてのアイデンティティーを揺るがされるような体験を持った。私は精神分析家としてのキャリアーを積むための一つの大きなプロセスともいうべき資格を得るための審査に落第してしまったのである。それはある意味では大きな失望や驚きの体験であった。しかしそのようなとき私が向かうのは、そのような体験を持つということを取り込み、それを興味深く眺め、その上で現実がいかに予想外に展開し、いかに自分がそれに対して無力かを思い知るという体験である。そしてそれ全体がとても面白い、と思う。それを私なりに理解し、消化(昇華)しようという力が出てくる。その時点で私は失望体験を克服しているということになる。
繰り返すが、このような傾向は私を物事を受け入れるという方向に向かわせてくれるとともに、ある意味ではとても受身的にするというところがある。この私の性質は、人生のあらゆる場面で人と争ったり、力を競ったりする舞台を避けることと関連している。私は最初から敗北主義でエディプス葛藤を最初から放棄しているともいえる。私には人と真っ向から戦うということに対する抵抗が強く、すぐ相手に興味を持ち、観察してしまうというところがある。そして自分に起きている事態を理解したい、わかりたいと思うのである。つまり対決を避ける代わりに、その体験を書いてみようと思うようなところがある。