2016年7月31日日曜日

推敲 3 ②

2015年に九州大学の研究グループは、 C. エレガンスが特定のがん患者の尿の匂いを求めて泳ぐという性質を発見した。もちろん水の中のことだから、本当の「匂い」ではない。液体に溶け込んでいる極めて微量の化学物質を意味する。Cエレガンスはこの化学物質を求めて泳いでいくのだ。たった302個の中枢神経の細胞で、どうしてそんな事が出来るのだろうか?1000億個の神経細胞を持った私たちが、喉の渇きのために砂漠の向こうに泉を求めてさ迷い歩くのならよくわかる。しかしたった300個の神経細胞の集まり、脳ともいえないようなとてつもなく単純な生物もまた同じような行動を起こすのである。
 家事に熱中するAさんの話からいきなり特定の尿の匂いを求めるC.エレガンスに話が移ったが、私が興味を抱くのは次の一点である。生物はどのようにして動いていくのか。それを駆動する力はなんだろうか?渇きや飢えといった感情であろうか?それともロボットのように自然と匂いや光に向かうのであろうか? もしCエレガンスが求めるのは、匂いのもとに到達した時の快感や喜びであるとしたら、そのもとに向かう、という行動はどのようにして成立するのであろうか?直接そのにおいのもとに到達したわけでもないのに、どうしてそれを求めて泳ぐということが可能だろうか?
もちろん読者の中にはこう考える人がいるだろう。「単純な生物が欲望を持つはずはないであろう。」「ロボットのように自動的に匂いのもとに泳いでいくのだ。どうして感情など必要なものか?」
 しかしそれならば私はこう聞きたい。「では私たちはどうして欲望という厄介なものを持っているのだろう?快や不快や渇望や苦痛など、ややっこしいものをどうして体験しなくてはならないのだろうか?」
おそらくこの疑問には永遠に正解はないのであろうが、少しでもそれに迫っていくのが本書の目的である。

基本は報酬勾配だろう

まず基本の基本からである。動物(人を含めて)を動かす原理。それは「快を求め、不快を回避するという性質である」。とりあえずこう述べてみよう。正解だろうか? いや、その答えの追求を、ここではまだ急がないことにしよう。そしてこの原則を、とりあえず「快楽原則」としておこう。一見この原則はすごく正しいように思える。生命体は快を求め、不快を避ける。当たり前である。その通り。この原則は、直感のレベルでは正解なのだ。
 ただしすぐに一つの問題が生じる。「すぐにでも快楽が得られないとしたらどうするのだろうか?」そう。Cエレガンスも匂いのもとにすぐにでもたどりつくわけではない。Aさんだって家事が終わってほっと一息、となるために何時間も働き続ける。報酬が即座に保証されないのに、同粒はどうして動き続けるのか?それも夢中になって。
私はこれを三日三晩考え続け、一つの結論にたどり着いた。そして動物生態学的にもそれが妥当であることを追認したので、ここに表明したい。それは生物がある種の報酬の勾配におかれた際に、それに惹かれていくということである。これはどういうことだろうか?
もちろんC.エレガンスは水の中を泳ぎながら、「匂い」のもとに向かって、「こっちだ、こっちだ、もうすこし」などと思っているわけではない。彼らはおそらく何も感じずに、泳ぎ続けるのである。しかしここには一つの仕掛けがある。Cエレガンスが好む匂い物質の濃度勾配がそこに存在するということである。つまりシャーレの一端に患者の尿をたらし、そこからの距離に従って、そのにおいが拡散していく、という状態に置かれることで、生物は動いていくのだ。先ほどから話題になっているAさんなら、「さあ次は掃除だ。これが終わったら洗濯をして…」と頭の中の予定表をこなしていく。それが実は楽しいはずなのである。仕事の完了に向かって着々と進んで行くのだ。それをここでは報酬勾配、と呼んでおこう。そしてその由来は、濃度勾配である。濃度勾配こそ、生物が動いていく際の決め手として注目されているテーマなのだ。

走化性(ケモタキシス)という仕組み

匂いに向かって進む性質、それはCエレガンスはおろか、単細胞生物(!)にも存在することが分かっている。それを走化性 chemotaxis と呼ぶ。“chemo”とは化学の、“taxi”とは走る、という意味だ。化学物質に濃度勾配があれば、鞭毛(細く長い、ムチのような毛)を持った細菌などはそれに従って移動する。いや鞭毛をもたない白血球なども同様の行動を示す。もちろん何に向かって走るかにより、温度走性、走光性などがあるが、医学の分野との関連で濃度勾配により移動をする走化性の研究がずば抜けて多いのは、これが生物学と医学の両方で特筆すべき重要性を持っていることの証である。何しろ1700年代初頭にレーベンフックが顕微鏡を発見した時から、「なんだ、この細胞、じわじわと動いている様だぞ!」ということが発見されたという。生命のもとになる単細胞が、どこかに向かって泳ぐ(というかジワジワ動く)ということが分かっていたのだ。そしてそれがある種の化学物質に向かう、あるいはそれを嫌って避けるということは、その細胞の基本的な性質としてあるのだ、という認識が高まってきた。あとはその研究の歴史が延々と続くのである。Cエレガンスどころの話ではなかった・・・・・。Cエレガンスは多細胞生物である。体長一ミリ、細胞の数は1000前後で立派なものである。彼が「走る」のはむしろお茶の子さいさいのはずだ。
ではどのような形で走化性が生じるのだろう? たとえば鞭毛を持っている細胞の場合次のようなことがおきるらしい。反時計回わりをすると、鞭毛はひとまとまりになる。それにより細菌は直線的に泳ぐ。そして逆の時計回転をすると、繊毛がバラバラの方向を向き、その結果として生物はランダムな方向転換をするという。要するに逃げる、ということなのだ。そしてそれが起きるために存在するべきものがある。リセプター(受容器)だ。細菌がXという匂いに向かっているとしよう。するとXの分子が細菌の表面にあるリセプターにくっつく。そこからさまざまな化学反応を誘発するのであるが、簡単に言ってしまえば、一瞬前のXの濃度に比べて、現在の濃度が上昇しているか、下降しているかにより繊毛の回転方向が決まってくるわけである。たとえばリセプターが細胞の表面に沢山あり、ある時点でそれのNパーセントにXがくっついているとしたら、しばらく走るとNプラス1パーセントに上昇したことで、細菌は「ヨッシャー、この方向や!(なぜか関西弁)」とばかりに鞭毛を反時計回りにブルンブルン回すという仕組みが出来ている。
もちろんこの場合、細菌はより濃いXを感じ取ることで「ヨッシャー」とは感じていないだろう。上のは少し擬人化して書いただけである。細菌は考えるべき心を宿すスペース自体がない。このままでは細菌はロボットそのものだ。でも一つだけいえる。生物はたとえ細胞一つでも、自分の体にいいものを求めて動く。そしてその際の決め手は濃度勾配、つまりは報酬の坂道を下るという作業なのである。後は生命がいくら複雑になっても、同じような仕組みを考えればいい。
たとえば産卵をしに川を遡行する鮭でもいい。あれほど一心不乱に、ボロボロになりながら上流を目指して泳ぐメス鮭は、明らかにコーフンし、目的地に向かって期待を胸に泳いでいることだろう。もちろんもうひとつの仮説は、彼女たちが何かの恐怖におびえ、一目散に上流に「逃げ」ている可能性だ。しかし私は絶対前者に賭ける。少なくとも生まれた川を目指すプロセスは「匂い」という研究があるそうだ。すなわちその川に特有の物質(もちろんものすごい数の微量物質だろう)の組み合わせの「濃度勾配」に反応する「走化性」が決め手となるだろう。ただし鮭あたりになると、私はそこに心を宿していると思いたい。そのメスの鮭の頭には、産み落とされる卵たちの「早く、早く」という叫びや、排出された卵に狂ったように精子を振りかけるべく待ち構えているオス鮭のイメージが広がっているかもしれない。彼女たちは間違いなく上流を目指すことを命を懸けて、ある種の興奮状態に駆られて行っているはずなのだ。