2016年8月1日月曜日

推敲 3 ③

報酬勾配に置かれた私たちは興奮し没頭する

ここで鞭毛を持った細菌からも、心を持っているかいないかも分からないC.エレガンスからも離れて、人間である私たちのことを考える。私たちが何事かに熱中し、夢中になって課題に取り組んでいるとき、それは「報酬勾配reward gradient」に置かれた状態と考えることが出来る。報酬勾配とはここで初めて用いる言葉だが、要するにこれまでの濃度勾配の話から一歩進めただけである。C.エレガンスにとっての匂いの勾配のような、ある種の報酬の勾配に置かれたとき、私たちは興奮し、没頭する。これは生物学的な宿命といえる。おそらくその典型は動物における交尾のプロセスであろう。いったん始まった交尾のプロセスは、いわばポジティブフィードバックの形態をとり、簡単には止められないのは人間も動物も同じはずだ。
ちなみに、この報酬勾配がない場合の快楽、というのも考える事が出来るだろう。本書の別の章でも述べるが、報酬の勾配を下ることのない快楽は、いわば「静的な快」だ。静的快は、それに浸っているだけで十分な状態である。温泉につかっている時のように、「あー気持ちいい、ここを動きたくない」となる。ところが「動的快」は何かに向かっている。おなかをすかしたワンちゃんが餌をパクついて最後にはお皿をペロペロ舐めておしまい、という一連の動きを考えよう。静的快と動的快の違いは、つまるところそこに報酬の勾配が存在するか否か、ということになる。

様々な報酬勾配の例

以下に様々な報酬勾配の例を考えてみる。
 あるダイバーが海底に不思議な貝殻のようなものを発見する。角張っていて、ちょっと六角形にも見える。汚れを落としてみると、なんと金貨であった!まだ確証はないが、きっと何かすごい価値があるに違いない。どうしてこんなところに いきなり金貨が落ちているのか、さっぱりわからないが、それにしてもたまたまこんなものを発見するなんて、なんと幸運なんだろう、すぐに近くにいる仲間のダイバーに伝えよう。ラッキー!ここまでは上述の静的快と言えるだろう。
 ところがふと気がつくとそばにある珊瑚の塊は、何か船のような形をしているようだ。ということは難破船の名残か?ひょっとしたらこのあたりには、その船に積まれていた金貨がたくさん散らばっている可能性はないか? その目で見るそこここに似たような「貝殻」が落ちているようだ。ダイバーは、仲間に知らせることをやめて、夢中で探し出す。どこかに金貨を入れていたツボごと発見できないだろうか、と時間の過ぎるのを忘れて・・・・。これは動的。後者で起きているのは、探すという行為が更なる快を生むという、「勾配」の存在なのである。
報酬勾配が逆向きだったりする場合もある。その場合人は苦痛から逃れることに夢中になる。こんな例を考えよう。あなたが腰の痛みに耐えているとする。慢性的な痛みで、安静にしているとやがて落ち着いていくのがわかっているので、あなたはカウチに静かに横たわっている。これは静的な苦痛。ところが家族の誰かが「マッサージをしてあげるよ。」と言ってあなたの腰に手を当てる。最初は特に何も感じず、むしろ少し楽になった気もして、マッサージを受け続けるが、ある部位に触れられたら急に痛みが増したとする。あなたは悲鳴をあげて「そこはやめて!」といったり、逃げ出したりする可能性がある。急に生まれたマイナスの「報酬勾配」により、痛みは動的になり、人はそれに反応して活動的になるのだ。
以上の考察から、報酬勾配は動的な快に結び付くという点を論じたが、実は勾配が存在していても、その体験が静的である可能性がある。それは快中枢が飽和状態に達する場合だ。渇きを癒すために水を飲む場合を考えよう。どんなにのどが渇いていても、人は永遠に水を飲み続けるわけではない。34杯も飲んだらもうたくさんという状態になるだろう。最初の一口、二口、あたりの快はきわめて大きいはずだ。しかしそのうち上限に達してしまうと、後はそれ以上にはならず、むしろ苦痛を伴うようになる。おそらく私たちが日常体験するナチュラルハイなどは、この飽和状態に早く行き着くために、環境としてはポジティブ、ネガティブな報酬勾配が提供されていても、そこでの体験は静的な快、不快に早晩行き着くことになるのだ。
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ということでC.エレガンスの話に戻らないと、この章を終えることが出来ない。C.エレガンスが患者の尿の匂いに向かって泳ぐ時、彼は動的な快を味わっているのだろうか?一つ確かなこと。それは彼が報酬勾配を下っていくということだ。問題はそれが快を伴っているかどうかということだけだろう。患者の尿のふくむ物質Xは、Cエレガンスの生存の確率を上げるような何らかの作用があるのだろう。だからXに惹かれるCエレガンスの個体が生き延びたと考えるのが常識だ。しかし、私は思うのである。C.エレガンスは物質Xを嗅ぎつけて、コーフンし、ワクワクしているのではないか。その種の快楽が介在しない限り、どうしてカマキリは交尾の後にメスに頭から食べられることに甘んじるだろうか? もしC.エレ君が快を感じているとしても、誰にも証明されないだろう。でも彼が快感を感じていないということを証明するすべもまたないのである。