またムヒカ氏の話に戻る。ウルグアイ第40代前大統領。2010年から2015年の間ウルグアイの大統領を務めた。彼の有名な言葉に次のようなものがある。「貧しい人とは、あまり持っていない人のことではなく、もっと欲しがる人のことを言う」。
1935年生まれの79歳。貧困家庭に生まれ、家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら育った。1960年代に入って都市ゲリラ組織「ツパマロス」に加入。1972年に逮捕された際には、軍事政権が終わるまで13年近く収監された。2009年11月ウルグアイ大統領選挙に当選し、2010年3月1日より同国大統領。第40代大統領の彼に大統領公邸が用意されているものの、ムヒカ氏は自宅の農場のトタン屋根の家に住み、収入の9割を寄付しているため生活費は1000ドルほど(約10万円)しかないという。車は1980年代のおんぼろフォルクスワーゲン。富の象徴として公邸に住むことを拒否し、大統領だがネクタイをつけることも嫌がる。ムヒカ大統領の下でウルグアイは、人工妊娠中絶や同性婚をはじめ、マリファナの生産や販売を合法化した。マリフアナの 合法化は世界初だったが、これには批判を浴びたという。
極貧に生まれ、家計を育てながら育ったというところは、例の●添さんと同じだ。しかしどうしてあんな差がついてしまったのだろうか?こちらの方は政治資金を生活費に流用してほくそ笑み、公用車を使って別荘に行き来するのである。
ここで偉大な魂と普通の魂の違いを報酬系という視点から考える。●添さんは、「ふつうの魂」代表、ということで。だって彼が特別だとは言えないだろう。都知事という巨大な権力の座についた人間は、おそらく報酬系をやられてしまう。自分が動かすお金が巨大で、ふるう権力が大きい場合に、人に何が起きるのか。それはちょうど報酬系を著しく満たすような薬物を体験した人と似ている。人はそれを常習したくなる。一度味わった権力の味は容易には忘れられない。繰り返しそれを味わおうとする。別荘通いを行い、趣味のネットオークションで絵画を落とす。「やった、これでうん十万円いただき。取っておいて後で売ろう…」ものすごく庶民的だけど楽しい人にとっては楽しいのではないか?釣りに行って魚を釣り上げるのと似た感覚ではないだろうか?
ムヒカ氏も当然似たような体験をしたはずである。彼はそれを常習するのではなく、むしろ拒絶した。その力たるや凄まじいものであろう。一度は味見くらいはしたであろう麻薬を目の前に積まれ、それをゴミ箱に捨てるような行為。普通だったら考えられない行為を彼は行う。世界中の政治家を探しても例がないような、給料の9割返上を平然と行うのだ。