●報酬系と偉大な魂
量的にはかなりのところまできているので、そろそろまとめ始めなくてはならないが、どうも不全感がある。最後あたりに入れたい章がある。題して「報酬系と偉大な魂」。もちろん大仰なタイトルだが、このようにしないと本として売れなくなってしまう。
ホセ・ムヒカ氏のことを書こう。百聞は一見にしかず、である。まずこの写真。2013年のウルグアイ政府の式典で、この姿である。いいなあ。こんな老人になりたいものだ。ぜんぜん気にしていない感じ。さすがに大統領になると他の人に気を使う必要はないのだが、この人、オバマさんにあってもプーチンさんに会ってもノーネクタイだったと言う。 A proudly underdressed Mujica is flanked by his vice president (left) and finance minister at a 2013 government ceremony. (AP Photo/Matilde Campodonico)
読者は報酬系とどう関係があるのかと思うだろうが、実は大有りである。報酬系のあり方はその人そのもの、と言うのが私の趣旨であるが、質のよい、ハイレベルの報酬系は教養と知性の裏づけがあって初めて出来る。そしてそれは自分にとっても他者にとっても大切なものである。
偉大なる報酬系、と題したが、私の考える報酬系の偉大さとは次の様なものである。それは将来の快、不快を敏感に察知する。その達成(または回避)の実現については、しかし大きな感激や失望は伴わない。と言うか、予想した段階である程度のあきらめを含んでいる。そう、偉大なる魂は自分や周囲にあまり期待しないのである。
私はこの種の偉大な魂の片鱗に出会ったことがあるが、彼らは他人を恨まないし自分の自己愛におぼれることもない。淡々としているのである。「過剰な期待をしない」がその人を一番特徴付けると言ってもいいであろうか。もちろん周囲に向けて主張をするし、期待もする。でもそれが受け入れられないときの失望は、ある程度予期されているので、一瞬で終わる。だから失望させられた相手への怒りもわかない。「あ、そうか」で一瞬にして考えを変えることが出来る。
偉大な魂は、たとえばAと言う方針を持ち、その実現に向けて動く。しかしそれがかなわなかったときにBを用意してある。だからAが実現しないことは苦にならない。あるいは”It’s not end of the world”. それでこの世がなくなるわけでもないし、とあきらめることが出来る。では本当にAをあきらめきっているかと言えば、実はそうではない。