2016年7月1日金曜日

報酬の坂道 ⑪

私の報酬系を最も刺激するローソンのドーナッツ (クイニーアマン メープル風味)

遂行プログラムにおける反復の問題
報酬勾配や探求モデル、遂行モデルの問題は、私たちの持つこだわり、ルーチンを守る傾向と深く関係している。それはまたアスペルがー障害などでは特に顕著であろうし、もちろん強迫性障害などにおいてもそれが端的に見られる。とりあえずは健康な生活を送っている私たちも、程度の差はあっても皆この反復の傾向を持つ。多くの人にはお気に入りのワインがあり、行きつけの店があり、病み付きになっているスナック菓子があり、何度も聞いているCDがあるだろう。
 なぜ私たちは同じことを反復するのか? 私は問題は反復というよりは常同性であると思う。いつも同じ事を行うと、結果として反復になるのだ。反復強迫というよりは、常同強迫である。私も同じような傾向があるから良く分かるが、同じことをするのは心地よく、安心感を与えることが多い。ただし全くの反復は面白くない。少しバリエーションがなきゃね。でもバリエーションは、こちらから意図しなくても、向こうから与えられるというところがある。同じ曲を聞いても、毎回聞こえ方が違うかもしれない。毎日同じ道を通勤しても、雨が降る日も風が吹く日もある。ルーチンをこなすこととは、そのような放っておいても襲ってくる変化から身を守るための手段、平衡状態 equilibrium を作るための手段という気もする。そう、常同性の追求は実は奥が深いのだ。
プロ野球のイ●ロー選手などはよく引き合いに出される。なぜ毎日決まった時間に球場に表れて同じ練習のメニューをこなすのか。おそらくそれを行うことへの快があるのであろう。そこに脳のネットワークの介在を容易に想像することが出来る。脳の中に、たとえば広大なネットワークがある。イ●ロー選手は、車で球場に向かうあたりから、もうそのネットワークのスイッチが入ってしまい、あるパターンに入り込み、そのあとは殆どオートマチックであるというようなことを、テレビのドキュメンタリーで語っていた。まさに水路を伝って水が流れるがごとく、回路が興奮を続けていく。 このルーチンをこなすからこそ、彼はその練習を積み上げることが出来、冒険をしない分だけ怪我も少なく、現役を何年も続けることが出来るのだろう。そのネットワークは刺激を受けて興奮することをいわば待っている状態であり、途中で止めることなどできない。イ●ロー選手なども、彼の野球用具を誰かが間違って触れたりすると、それがわかるし、それが少しでもいつものところに置かれていないと耐えられないという。目が、手がすごく敏感なセンサーのようになっているのだろう。
 それにしても習慣とは不思議である。私はアメリカ生活が長かったためか、コカコーラをよく飲むが、数ヶ月コーラばかり頻回に飲む時期が続いた後、見向きもしなくなるということが起きる。そして2,3年してまたコーラに戻るということを繰り返す。どうしてか全く分からない。しかしこれも一種の平衡状態の維持と考えることが出来るかもしれない。同じ食物を、獲物を食べ続けることには良し悪しがあるだろう。微量の毒物を含んでいるかもしれない。環境自体が大きく変化をしない限り、その場所で採れる獲物には限りがある。しかし当面はそれを食べている限り安全だろう。動物には一種類の獲物を安全に摂取できた場合、目新しくて毒を含む可能性のある獲物に目移りをするような個体はそれだけ身を危険にさらすことになる。ところが同じものにこだわることで、その獲物や植物を取り尽くして資源の枯渇を招くことも避けなくてはならない。結局生命体は生き延びるために摂取する獲物に対して、ある程度は同じものにこだわる傾向を持ちつつ、時々別のものに目移りするという、常同性と変化への希求の共存を併せ持つものなのであろう。