報酬系どころじゃなかった。「日本の精神分析的精神療法」こういうテーマで話をまとめなくてはならなくなった。期間は10日。キツイなあ。私はブンセキカである。精神分析といえば週四セッション以上が定番である。しかし私の患者さんの中には不定期で、それも二週に一度しか通ってこない方もいる。というか精神科医ではそれ以上が出来ないという事情がある。私はそれでは精神分析が出来ないかといえばそんなことはないと思う。ただ質が変わってしまうということはある程度いえるかもしれない。そこで思いついたテーマ。
週一度、というより頻度のスペクトラム、そしてセッション時間のスペクトラム
<初めに>
今日はこの場にお呼びいただいて、誠にありがたいという気持ちでいっぱいです。そこでこの機会に、なかなか他の場ではいえないことをお伝えしたいと思います。
まずはこの週に一度のセッションというテーマから始めますが、私にはどうもこのテーマについては、「週一度でごめんね、でも立派に仕事が出来ますよ」というapologetic 謝罪的 なニュアンスを感じます。精神分析は本当は週に4度でなくてはならないが、週に一度だってそれなりに意味があるよ、でも週に一度であるという立場をわきまえていますよ、というニュアンスです。しかしそれは同時に一種の戒めでもあります。「まさか週に一度さえ守れていないことはないでしょうね。」「週に一度は最低ラインですよ、これ以下はもう精神分析的な療法とは言えませんよ」という一種の超自我的な響きがあります。さらにこれは時間についても言えます。50分、ないしは45分以上のセッションでなければお話になりませんよ。それ以下では意味がありませんよ、というメッセージがあります。
私は性格上あらゆる決まり事、特に暗黙の裡の決まり事に対して反発をしてきました。というよりそれに暗に従ってしまいそうになる自分に対する違和感というべきでしょうか。もちろん何にでも反対するというのではなくて、現実と遊離している決まりごとに対してそうなのです。ですから「週一度、50分でなくてはならぬ」に反発いたします。もちろん週一回、50分できたらどんなにいいだろう、という気持ちもそこには含まれます。
先ず私の立場を表明します。私の立場は精神分析家であり、そして精神科医です。精神分析家である私は、週に4回も週に一度50分も実際に行っています。しかし精神科医の私のプラクティスの中では、週一度はとても贅沢な構造です。でも8時間に40人のペースで患者さんと合うというスケジュールでは、それを維持することには大きな制約があります。そこで私が最大限贅沢に行っている精神療法は、二週に一度30分です。これはやはり少なくとも10分、15分以内に次の患者さんを呼び入れるという立場ではかなり無理をしたスケジュールです。そしてこれは実は精神科医だけではありません。私は心理士さんと組んでプラクティスを行っていますが、事実上通院精神療法の本体部分は彼女たちにお願いしているわけですが、とても50分に一人ではまわって行きません。私の患者さんの大部分は定期的な精神療法を必要としている方々です。一時間に二人はあっていただかないと無理です。私の理想とする精神科医と心理師の共同では、2週間に30分は、事実上のスタンダードです。これは私が知っているもう一つの世界、すなわちトラウマティックストレス学会で出会う精神科医の先生方も言っていることです。通精では、二週に一度30分が限界だよね、と。二週に一度30分、というスタンダードはこうして事実上あるのですが、だれもそれを精神分析的とは呼んでくれません。
でも、みなさん首をかしげるかもしれませんが、私は大まじめで分析的な精神療法をやっているつもりなのです。もちろんそれは週4回、ないし週一回50分と比べて、ややパワー不足という印象は否めません。たとえて言えば、精神分析という4輪駆動や、週一度というSUVほどには走れません。でも軽自動車くらいの走りはしていますし、精神分析的な治療という道を、それなりにトコトコと走っている気がします。私もそれならば運転できるよ、と思っているし、患者さんもそれくらいならガソリン代が払えますよ、といっている。私は軽自動車で多くの患者さんと出会って、とても満足しています。
まずはこの週に一度のセッションというテーマから始めますが、私にはどうもこのテーマについては、「週一度でごめんね、でも立派に仕事が出来ますよ」というapologetic 謝罪的 なニュアンスを感じます。精神分析は本当は週に4度でなくてはならないが、週に一度だってそれなりに意味があるよ、でも週に一度であるという立場をわきまえていますよ、というニュアンスです。しかしそれは同時に一種の戒めでもあります。「まさか週に一度さえ守れていないことはないでしょうね。」「週に一度は最低ラインですよ、これ以下はもう精神分析的な療法とは言えませんよ」という一種の超自我的な響きがあります。さらにこれは時間についても言えます。50分、ないしは45分以上のセッションでなければお話になりませんよ。それ以下では意味がありませんよ、というメッセージがあります。
私は性格上あらゆる決まり事、特に暗黙の裡の決まり事に対して反発をしてきました。というよりそれに暗に従ってしまいそうになる自分に対する違和感というべきでしょうか。もちろん何にでも反対するというのではなくて、現実と遊離している決まりごとに対してそうなのです。ですから「週一度、50分でなくてはならぬ」に反発いたします。もちろん週一回、50分できたらどんなにいいだろう、という気持ちもそこには含まれます。
先ず私の立場を表明します。私の立場は精神分析家であり、そして精神科医です。精神分析家である私は、週に4回も週に一度50分も実際に行っています。しかし精神科医の私のプラクティスの中では、週一度はとても贅沢な構造です。でも8時間に40人のペースで患者さんと合うというスケジュールでは、それを維持することには大きな制約があります。そこで私が最大限贅沢に行っている精神療法は、二週に一度30分です。これはやはり少なくとも10分、15分以内に次の患者さんを呼び入れるという立場ではかなり無理をしたスケジュールです。そしてこれは実は精神科医だけではありません。私は心理士さんと組んでプラクティスを行っていますが、事実上通院精神療法の本体部分は彼女たちにお願いしているわけですが、とても50分に一人ではまわって行きません。私の患者さんの大部分は定期的な精神療法を必要としている方々です。一時間に二人はあっていただかないと無理です。私の理想とする精神科医と心理師の共同では、2週間に30分は、事実上のスタンダードです。これは私が知っているもう一つの世界、すなわちトラウマティックストレス学会で出会う精神科医の先生方も言っていることです。通精では、二週に一度30分が限界だよね、と。二週に一度30分、というスタンダードはこうして事実上あるのですが、だれもそれを精神分析的とは呼んでくれません。