2016年7月16日土曜日

推敲 1-③

快楽には文脈がある
現在でも購入可能なな唯一のヒースの著書がある。 (Exploring the Mind-Brain Relationship'' (Moran Printing, Baton Rouge, 1996) この本にはもちろんバーンズの本では触れられていない興味深い記載がある。その一つは、報酬系刺激により感じる快感は、その時何を体験していたかに強く影響を受けるということであった。
 たとえば昼食の直前に報酬系の刺激をすると、昼食は明らかにおいしくなった。またある患者はエロティックなビデオを見せられても、あまり関心を示さなかったが、報酬系を刺激すると興奮して熱中してそれを見るようになったという。しかしそのようなビデオを見ていない時に報酬系を刺激しても、性的な興奮は生じなかったという。これは一部の動物の実験に見られるような、中隔野の刺激が常に性的な興奮を呼んだという実験結果とは異なることになる。報酬刺激により増幅される快感は、あくまでも文脈的、なのだ。
ただしこの「文脈性」については、嗜癖を生む薬物を使用する人にとってはある意味では体験的に常識ともいえる事柄である。たとえば食事をした後のタバコがなぜおいしいか。それは「ああおいしかった」をより高めるという意味を持つ。あるいはコカインをセックスの際に用いる時は、その時の快感を高めるからだ。さらにはマリファナやLSDなどの幻覚剤による感覚過敏もそのような意味を持つといえるかもしれない。それらを使用することにより、普段だったら何でもない色彩に思えるものを途轍もなく刺激的な色使いと感じるような現象である。
 実はこれは私の想像ではあるが、夢にもこの報酬系の刺激が関与していると思えてならない。なぜあんな内容の夢が壮大なパノラマを見ているような感動を与えていたのだろう?と思える夢はよくある。もちろん自分自身の夢について言えることである。なぜなら他人の人の夢を聞いても、ただのわけのわからぬ展開にしか思えないはずだからだ。しかし自分が見たばかりの夢は、言葉に直すときわめて陳腐な内容には違いないが、途轍もない感動を与えてくれるように感じる。
  ということで本章の教訓。「不埒な夢」を実行した人ならば、人生の最後を音楽で締めくくりたければ、好きな曲を聴きながらスイッチを押す。美味しさに感動しながら終わりたいなら、MSG(味の素)でも口にふくんでスイッチを押す。美しさに感動しながら逝きたいなら、好きな画集でもめくりながらスイッチを押す。ただし決して報酬系ではなく、内側扁桃核に入っている電極スイッチを押してはならない。さもないととんでもない最期を迎えることになってしまう・・・・。