それにしてもゼキ論文は参考になるなあ。ゼキ先生はこんな興味深いことも書いている。((続く)(P2576, 2007)恋愛の際のドーパミンの上昇は、セロトニンの低下とカップリングし、そのセロトニンのレベルの低下は、強迫神経症に匹敵するという。そしてそもそも恋愛は、一種の強迫であるというのだ。こだわり、観念の固着などのことである。そしてもう一つ、最近恋に落ちた人にはNGF(神経成長因子 nerve growth factor)が脳内で顕著に増えているという。 人間の体の中には、いろーんな成長因子が一種のホルモンとして分泌されているが、特に神経細胞の枝(樹状突起)を伸ばす力を促進するのがNGFである。神経細胞の分裂を促進して数を増やす、というわけではない。)
次に書いてあることもまた面白い。結局脳科学的には、恋愛感情と性的感情は脳の興奮部位としては非常に近いということだ。ともに前帯状皮質が興奮しているし、視床下部もそうだ。そしてこの視床下部は、母性本能の際にはむしろ静かであるという。もちろん赤ちゃんからのタッチはパートナーからのタッチとは違う。そしてその「違い」は視床下部が興奮しているかどうかということが決め手らしい。
何といってもゼキ先生の業績は、恋愛をしている最中はどこの部分が抑制されるか、ということに向かっているが、興味深いのはP25、 左コラムの記述。抑制されているのは前頭前野、頭頂側頭連合野、側頭頂の3つの部分だが、ここはなんとメンタライゼーションに関わる部位であるという。そしてここらへんに恋が盲目であるということもかかわっている。恋をしている時、本当は相手が見えない状態になっているわけだ。相手の気持ちをわかる能力(メンタライゼーション)が低下しているからこそ恋が出来る。そんなのアリ?
ここを書いていて、ピンときたことがある。ある50歳代のストーカーの人が語っていた話。彼は同じ部署の女性の20歳代の新入社員に付きまとったのだが、こんなことを言っていたという。
「彼女がお茶を入れてくれる仕草がとても優しく、絶対彼女は私に気があると思ったのです。」「彼女がバレンタインデーにチョコレートをくれたので、もう間違いないと思いました。彼女はほかの社員にも配っていましたが、私には本気でチョコレートを渡してくれたとピンときました。」「誘って断られても、本当は彼女は私を好きなのだと思っていました。」
わかるだろうか。このメンタライゼーションの完璧な機能停止が。