2016年6月3日金曜日

精神科医の夢 ⑤

快楽には文脈がある
 ヒースによる実験でもう一つ興味深い記載がある。それは報酬系刺激により感じる快感は、その時何を体験していたかに強く影響を受けるということであった。たとえば昼食の直前に刺激をすると、昼食は明らかにおいしくなった。またある患者はエロティックなビデオを見せられてもあまり関心を示さなかったが、報酬系を刺激すると興奮して夢中でそれを見るようになったという。しかしそのようなビデオを見ていない時に刺激を与えても、性的な興奮は生じなかったという。これは一部の動物の実験に見られるような、中隔野の刺激が常に性的な興奮を起こしたという実験結果とは異なることになる。ただしこのことは、嗜癖を生む薬物を使用する人にとってはある意味では常識ともいえる事柄である。たとえば食事をした後のタバコがなぜおいしいか。それは「あぁ、おいしかった」をより高めるという意味を持つ。(逆に言えば、嗜癖のある人は、何をしても100パーセント満足できない状態になってしまっているということだ。)あるいはコカインをセックスの際に用いる時は、その時の快感を高めるからだ。マリファナやLSDなどの幻覚剤による感覚過敏もそのような意味を持つといえるかもしれない。何でもない色彩を途轍もなく刺激的な色使いと感じるような現象である。もう一歩進んでいいだろうか。私は夢にもこの報酬系の刺激が関与していると思えてならない。なぜあんな内容の夢が壮大なパノラマを見ているような感動を与えていたのだろう、と不思議に思える夢はよくある。もちろん自分自身の夢の話だ。起きた瞬間は感動しているのに、しばらくすると、それになぜ感動していたのかが分からなくなる。人の夢を聞いた場合は話が違う。人の夢は、ただのわけのわからぬ話の筋の展開にしか思えない。しかし自分が見たばかりの夢は、言葉に直すときわめて陳腐な内容には違いないが、途轍もない感動を与えてくれるように感じる。
 ということでそろそろ私の長い不埒な夢も終わらせなくてはならない。最後の教訓。人生の最後を音楽で締めくくりたければ、好きな曲を聴きながら「スイッチ」を押す。美味しさに感動しながら終わりたいなら、MSG(味の素)でも口にふくんでスイッチを押す。美しさに感動しながら逝きたいなら、好きな画集でもめくりながらスイッチを押す。ただし決して内側扁桃核の方のスイッチを押してはならない。さもないととんでもない最期を迎えることになってしまう・・・・。というか、もともとそこに電極を刺しておく意味もないか。死ぬ間際に塗炭の苦しみを味わいたいという変わった趣味を持っていれば別だが。