2016年5月29日日曜日

精神科医の夢 ①

精神科医は不埒(ふらち)な夢を見る

昨夜、おかしな夢を見た。夢の中で、私はがんで余命いくばくもないことを宣告されている。自分でも体力が落ちてきているのがわかる。しかし私は特別死を怖くは思っていない。むしろ楽しみなくらいだ。それには秘密がある。死ぬ前のある楽しみがあるのだ。私はリモコンのスイッチを取り出した。
 

(中略)

私が長らく求めていたもの。でも決して体験できなかったもの。一種の悟りにも似た境地。最後の到達点。お花畑にも似た、華やかで楽しげな、しかしそれをおそらく数倍は増幅したような境地。もういつ死んでもいい。いや、死ぬのはもう少し待ちたい。この心地よさに少しでも長く浸れるのであれば・・・・・。
ここで私は目が覚めたのである。なんと不謹慎な、不埒な夢を見たのだろう。精神医学や脳科学の知識がなければ見ないような夢・・・・。

ところで「不埒な」、という表現を使っているが、私自身にはこのような夢を見る根拠がないわけではない。人の一生は儚い。大抵の人が、人間が体験しうる最大の苦痛や恐怖も、最上の幸福も体験せずに、普通の人生を営むのではないか。そして人はやがて老い、力尽き、死んでいく。おそらく病院のベッドでごく少数の人に見送られながら。おそらく彼は10年ほど前だったら、「死ぬまでにあれもして、これもして…」と夢見ていた可能性がある。しかしおそらく彼はその10分の一も、百分の一も体験することなく死期を迎えるのだ。彼がチャンスを逃したからだろうか?おそらくそうではない。いざとなるといろいろな事情があり、できなかったのだ。