2016年5月23日月曜日

倫理観  ①

報酬系と倫理観

私のある患者さんは夫が家庭を顧みないことを嘆く。
「給料日の次の休日には、朝からパチンコに行き、店の終了まで帰ってきません。そして戻ってきた時は、給料の大半がなくなっていることもありました。『お願いだからパチンコをやめて』、と言っても『うるさいな!俺に指図をするな。』と怒鳴るばかりです。」 
結婚した当初は働き者で思いやりのある優しい夫であったという。ところが数年前から「仕事が面白くない」と言い出して、パチンコにはまりだし、休日は朝からパチンコ屋に通うようになり、徐々に子供と過ごす時間もなくなっていったという。パチンコは夫の人格を変えてしまったのだろうか?
帚木蓬生というペンネームでも知られる精神科医森山成彬(もりやまなりあき)先生。「やめられない ギャンブル地獄からの生還」(2010年、集英社) 「ギャンブル依存とたたかう」 (新潮選書、2004) などの著書で有名である。が有名な作家でもある。
先生の講演を聞いていて考えたことが本章の発想のもとにある。ギャンブル依存がきわまると、家族の説教は全く耳に入らなくなる。本当にはまってしまうと、手元にお金がなければ、盗むことを考える。それまで倫理的だった人が、人の財布に手を出すまでになる。依存症はその人の倫理観を事実上骨抜き記してしまうのである。
先生の講演で聞いた話はこうである。ギャンブル依存の夫を何とか話し合いの場に連れ込む。それこそ夫の両親も心配そうな顔をして顔をだし、とにかく作ってしまった借金については何とか算段をすることになる。夫は真剣そうに「もう二度とパチンコには手を出しません。」と言う。「しかし」と先生は言う。「彼の頭の中は、どうやってここを切り抜けて、またパチンコ屋に舞い戻ろうかということしか考えていない。」
私は「まさか」、と思った。説教をされている時くらいは真剣に反省するのではないだろうか?もちろんどの程度ギャンブル依存になっているかにより違うだろう。何度もやめようと試みる人の場合は、少なくとも真剣にやめることを考える時が短時間ではあれ、あることになろう。しかし依存症が一定の限度を超えると、「やめよう」という決意はもう浮かばない。やめられないことはあまりに明白だからだ。まさに先生の本の題名(「やめられない」)通りである。
しかしこれは例えば自分が激しい痛みや不快を体験している時を考えれば納得ができるであろう。おそらく痛みを取るためならどんな行為もいとわないし、その行為の善悪は、その切迫の度合いによりいくらでも軽視されよう。おそらくその行為を裁くような倫理則などありえないはずだ。