2016年4月6日水曜日

解離性同一性障害(DID)の一般向けの説明

最初に解離性同一性障害(以下DID)という状態とはどのようなものかについて述べる。
 この状態は、ひとことで言えば、あるひとりの人間の中に、いくつかの人格(ないしは別々の心)が存在し、それぞれが入れ替わりその人の行動や思考をつかさどる状態ということができる。しかしこの説明を一度聞いただけでは意味がつかめない、と感じたり、そのようなことはありえないという反応が返ってくることが多い。それはこのDIDの状態が私たちが通常持っているある常識、すなわち私たち一人一人に心はそれぞれ一つであるという常識と矛盾するからである。そこでDIDの状態を訴える人に対して、理解しがたい、演技をしている、嘘をついている、と考える人は非常に多い。そこである程度分かりやすい説明を必要とするであろう。
実は自分の心が複数存在する、という状態はそれほど珍しいことではない。たとえば人がお酒を飲み過ぎて、その時話したことを翌日全然覚えていない、ということはしばしば聞くし、それを何ら不思議には思わないだろう。あなたにそれが起きたとしても、そしてその時に居合わせたという人に、「その時のあなたはいつもと違ってとても陽気で饒舌でしたよ」といわれても、自分が精神に深刻な異常をきたしたとは考えないであろうし、むしろそれは一般の人にもよくあることだ、と気にしないであろう。
 実際にこのようにお酒に酔って、そのあとの行動を覚えていないという現象をブラックアウトと呼び、正常範囲で起きることと考えられている。しかしもしその状態が飲酒というきっかけがなしに生じたとしたら少し話は違う。そして実際に解離とは、このブラックアウトに似た現象が、何らかの精神的なきっかけにして生じた状態に非常に近いことが理解される。
このブラックアウト現状がDIDと類似している点について考えてみよう。飲酒した際に、あなたはいつもと違ったふるまいをし、いつもと性格が違ったように見え、その時の様子を後で思い出す事が出来ない。DIDにおいてもあるきっかけで同様の状態になり、しかもそのことを覚えていない。しかもブラックアウトの際の振る舞いは、完全に忘却されてしまうわけではなく、しばしば再び酩酊状態になった時に、前回のブラックアウトの際の記憶を取り戻すこともある。つまりブラックアウトの際のあなたは、異なった性格や行動パターンや記憶を備えた、別の人格状態としてとらえる事が出来る。そのためにブラックアウトを生理的に生じる解離状態として理解することが一般的なのである。そしてこのように考えると、DIDの精神状態が全く私たちの体験とは程遠いものともいえないことがわかるであろう。
この解離現象をもう少し深く理解するためには、脳の話をしなくてはならない。心というのはひとことで言えば、ある情報処理を行うセンターにおいて生じる現象である。人には一つずつ心が備わっているというのがこれまでの常識であった。しかし実は昔から、心にその情報処理センターが複数ある人々の存在が知られていた。今でいうDID、従来多重人格と呼ばれていた状態である。それぞれのセンターは、記憶と性格と行動パターンを備えている。しかし体は一つ、行動も一度に一つ、言葉も一度に一人分しか使ったり表現できない。。そこでそれぞれのセンターが交代で前面に出てくることになる。私はそれを、いつもマイクロバスに例えることにしている。その運転席には一度に一人しか座れない。ハンドルもブレーキもクラクションも、一揃いしかないのであるから、それは当然である。一人の人格が運転している時は、他の人格は後ろで寝ていたり、見守っていたりする。ところがほかの車にとっては、その人が実は運転手が何人も交代して運転していることがわからないから、一人の運転手がAという場所を目指していたのに、急にもう一人が運転を代ってBという地店に方向転換するといったことを不思議に思うであろう。あるいはとても丁寧な運転をしていた人が、突然赤信号を突っ走るという無謀な運転に代わってしまうとしても訳が分からなくなってしまうだろう。DIDの人はこの様に異なる人格が存在して、運転台を入れ換わるということがしばしば起きていて、周囲を混乱させるということが起きる傾向にあるのだ。
それともう一つ、どうしていくつものセンター、すなわち人格が脳に出来上がるということが生じるのか、という問題にも触れなくてはならない。問題はその人の幼少時に遡る。小さいころ、私たちは誰かになりきるということがごく自然に出来る。皆さんもアイドルとかスーパーマンになりきった記憶があるだろう。それは脳の中に、アイドル、ないしはスーパーマンとしての人格が一時的にではあれ脳に成立すると考える事が出来るのだ。
あるいは言葉を習得するときにも同じことが働いている。幼少時に母国語を話すとき、私たちはその言葉を話す周囲の人の脳の機能をコピーするような形で自分の脳に移しかえす事が出来る。さもないと私たちはこんなに完璧に日本語をしゃべれないだろう。ところが年上になって言葉を学ぶと、少しアクセントが付いてしまう。つまりその話し方は自然ではなくなる。幼少時を過ぎ、そのコピー能力が低下してしまうということを意味しているのだ。
 さてこのような能力が備わった時期に子供が耐え難い、信じがたい、あるいは激しい情動を伴う体験をした場合に、脳の中に臨時の情報処理センターが成立し、そこで別の人格が働きだすということが起きる。それがDIDの始まりと考える事が出来るのだ。