2016年4月8日金曜日

射幸心の不思議 ⑥

ということで結局「射幸心」とは?

ということで射幸心のまとめである。射幸心は、ギャンブルにおいて、渇望が引き出される仕組みであり、ギャンブルを提供する側の作戦である。どのように人をギャンブルに引き込むか。射幸心をあおる、とは賭け事で「もっともっと・・・」と人の心を狂わせるための手段のことである。そしてその特徴はなんと、負けたことで人の心をあおるという仕組みであり、そもそも負けることが人を興奮させるという奇妙な性質を利用することだったのだ。
もちろん人は負けること事態を目的にするわけではない。負けることはつらく苦しいことだ。しかし「次は勝つかもしれない」、という気持ちがギャンブルの継続を人に強いる。そのひとつの決め手はニアミスということだ。しかしこのニアミスという現象、脳科学的にはそれが報酬系に関与しているということはわかったのだが、それ以上の具体的な事実や仕組みがわかったわけではない。そしてもちろんギャンブルを継続させるのは、ニアミスだけではない。事実宝くじなどで、ニアミスはあまりでないことになる。あたりくじとひとつだけ違う番号がたくさん出回る、という話など聞いたことがない。それでも人は宝くじを買い続けるのだ。それは自分が勝てる、という想定が、実際よりはるかに高く行われてしまうという事実、それがファンタジーであっても、それ自体を楽しむという人間(あるいはサルもそうである!)の心の不思議なのだ。
ところで薬物依存においては、何が射幸心に相当するのであろうか?基本的にはそれは起きないはずである。コカインを鼻から吸ったら、対一の割合でハイになれる、という話など聞いたことはない。何度吸ってもハイはハイである。しかし私は思う。薬物中毒でも、最初の快感を追う形で人は何度も役を用いるのではないか。ロスチェイシングではなく、ハイチェイシングである。すなわち一番最初に得た快感が忘れられずに、それを追い求めて薬物を使用するという構図が心理的に出来ているのではないか?

しかし私のこの主張とてエビデンスはない。射幸心には、私たちの快感にまつわるファンタジーが深く関係していそうだ、という点を漠然と指し示しているだけなのである。