2016年4月9日土曜日

報酬系と嘘、または虚言症の心理 ①

 「STAP(スタップ)細胞はありまぁす」。という訴えるような声が会場に響いた。

20144月9日、二ヶ月ぶりに公の場に姿を見せたOB氏。記者会見では同様や緊張を最初は見せたものの、その後の質問になると落ち着きを取り戻す。そして「スタップ細胞はあるんですか、ないんですか?」という記者の単刀直入の質問に答えたのが、冒頭の言葉だ。そして彼女は、すでに200回以上作成に成功していること、写真は何百枚とある、と研究成果を訴えたのである。
おそらく日本の学問の歴史の汚点として長く人の心を去らないであろうOB方問題。一番の問題は、彼女の発した言葉、取った行動が常人の想像を超えていたことにあると私は考える。私はスタップ細胞が実在するかどうかを判断する立場にない。それがありえないとは、100%断言できないのではないか・・・。と私が今でも書くとしたら、それはやはりOB方マジックの影響下にあるかもしれない。
私が何が言いたいのかを説明しよう。人があることに確信を持ち、それにしたがって行動する人を見て、それが間違いない事実だと考えるだろう。それが一見善良で真摯な研究者としての姿を示し、しかも若く愛らしい女性だとしたら、その真偽を疑う理由がない。それに彼女を信じた人たちはきっとこう言うだろう。「いったい彼女がスタップ細胞という話をでっち上げるような理由などあるでしょうか?すぐに他の人が追試すればいずれはばれてしまうような嘘を彼女がつく理由などあるはずがありません。」確かにそうなのである。普通なら誰もそのようなことを考えないだろう。ありえない話だ。そしてそのようなことが起きること自身がまれなことで、そのために多くの人が彼女の話を信じ、そしてそれがOB方事件へと発展したのである。
それにしてもなぜ・・・。
 私にもその理由はわからない。しかしひとつ言えるのは、彼女はスタップ細胞が存在しているという前提のもとでの言動を行う際に、彼女の報酬系が興奮し、彼女に心地よさや安心感を与えていたということだ。「スタップ細胞がある」と断言することは彼女に不安や後ろめたさを感じさせた可能性がある。しかし同時に、そしてそれ以上に彼女にとってそれは心地よいことだったはずである。だから彼女はその主張を今でも続けているのだ。

 こういう理解や説明は、当たり前といえば当たり前の話かもしれないし、何の解決にもならないかもしれない。人が何かをするのは、それが結局心地よいからだ。しかしそこまで話を戻すことで見えてくることもあるだろう。