2016年3月9日水曜日

So called SP revised (5)、 報酬系 27

3A SP in charge of expressing anger
While many individuals with dissociative identity disorder (DID) have difficulty in experiencing and recognizing their own negative feelings, some of their SPs take charge of having and expressing these feelings on behalf of the host personality. 
C, a young woman with ........................................................ DID..............................................................................................................................................................................................................................................................“from deep inside”.

4.A Competitive SP
Some SP can be very competitive with the host personality, with attributes so different from the host, including age and gender, which makes them entirely incompatible.
 A young woman, D...................................................................... ......................................................................................................................................................................................................................................................................................to be outside.



報酬系 27

ポテチはなぜ止まらないか。応用問題である。ポテチは、いわばプチ・アディクションである。いや、そこまでにも至らないか。ちなみに私はポテチが特に好きではないから、2,3枚食べれば、もう結構、ということになる。止まらないどころか、始まりもしない。しかしたとえばナッツ系、特にピーナッツだとこの「止まらない」が少し起きるので、気持ちはわかる。
 このポテチ問題は、おそらく昨日書いた「報酬の全量を想定する」というあたりで起きる問題なのだ。ポテチが小袋に入っていて、他に家の中のどこを探してもない、というのであれば話は簡単だ。その子袋の全量を食べて、それでおしまいである。しかししばしばポテチは大きな袋に入っている(というか、そういうものを買ってきていること自体が確信犯的である)。もちろん最初はそれを「報酬の全量」としては想定しない。「全部食べたら600キロカロリーだ。とんでもない。適当なところでやめよう」、と思っている。しかし手が汚れるし、もともとかさばるものだし、一部を最初から取り出して、後はしまいこむ、という手間を普通はかけない。「そんなことをしなくても自制できる」と高をくくっている。そして食べ始めるが、もともと全量の想定が曖昧なので、「もう半分食べたぞ。」とか「後は最後のこの2枚を残すだけだ」という覚悟は起きない。渇きを癒すペットボトルの例で言えば、最後の一滴を飲んだつもりでも、ボトルの壁から水が染み出て溜まってしまう!!諦めが付かないのである。そのままズルズルと最後まで食べてしまう。
人にとって想像上の「報酬の全量」を把握することがいかに大切か、という例である。人はある対象や状況が快を与えてくれるとき(ないしは労働のように、苦痛を与えるとき)、その全量を大雑把に把握し、覚悟を決める。それにより自分に枠をはめ、また報酬系の奴隷にならないようにするのである。目の前にケーキが無数にあり、しかも食欲がとてつもなく旺盛であれば、そこで問題が生じる。過食症である。原始時代には決して起きなかった現象だ。なぜなら美味で舌触りのいい食べ物はめったに存在せず、また数も限られていたからだ。ところが最近ではコンビニでたいした額をかける事もせずに好きなだけ美味な食料を手に入れることが出来る。「報酬の全量」に限りがない、という人類史上かつてなかったことが今は起きている。

こう書いていて、案外そうでもないかもしれないと思うようになった。花畑を飛び回るミツバチにとっては、似たようなことが起きるもかもしれない。「過食症」のミツバチは、蜜を吸いすぎて飛べなくなったりして。しかしそうなる前に飽食して「もういらない」スイッチが入るのである。とすれば過食症はこのスイッチの失調とも関連するのかもしれない・・・・。