2016年1月2日土曜日

解釈を超えて(2)


フロイトが精神分析を受けたらどうだったのだろうか?
 ここであれほどまでに解釈の重要性を説いたフロイトが、自分自身をカウチの上に載せた場合にどうだったのか、というのは興味深い話である。やはり彼も解釈の重要性を改めて認識したのであろうか?
これは実は不思議な問題をはらむ。最近、特にアンナ・フロイトの死後は、フロイトに関する様々なタブーが取り払われて、人間としてのフロイトを知ろうという動きが顕著である。そこから明らかになってくるのは、二つの点である。一つはフロイト自身が無意識の探求についてはそれを治療において勤めて行っていたものの、それが一種のパターン化に陥っていたという点、そうしてもう一つはフロイトは実際の患者との間では、かなりざっくばらんな姿勢を保っていたということである。この点に関しては、このブログのフロイト私論(11)で次のようなリンの研究David J. Lynn, M.D., and George E. Vaillant, M.D Anonymity, Neutrality, and Confidentiality in the Actual Methods of Sigmund Freud: A Review of 43 Cases, 1907–1939 . Am J Psychiatry 155:2, February 1998について述べている。
「リンの報告によれば、フロイトは自らが著作において述べているやり方から常にはずれ、非常に「自己表現的expressive」であり、「強引なまでに指示的 forcefully directive」であったとしている。さらにフロイト自身の「ブランクスクリーンであるべきだ」という勧めに関しては、彼自身がほとんどそれに従わず、100パーセントのケース(43例すべて) について自己開示を行い、72パーセントで分析関係外で患者との接触持ったという。すなわちフロイトは自らが定めている中立性や匿名性などの基本原則にはほとんど従っていなかったという、かなりショッキングな内容をこの論文は伝えていたのであった。」
このリンの論文は、さらに重要な記載を行っている。この部分も紹介しよう。
169ページ) Freud consistently deviated from his published recommendations on psychoanalytic technique. Indeed, his actual method could be seen as a quite different process, characterized by expressiveness and a tendency to be forcefully directive. Freud’s use of self-disclosures and directives may more closely resemble the techniques that current psychotherapy research has demonstrated to be most effective than does his recommended technique (57, 58). Concerning Freud’s

フロイトは常に自分が提唱した分析技法から逸脱していた。それどころか彼の実際のやり方は相当異なった、自己表現や、かなり強力に指導する傾向を伴っていた。(中略)フロイトの自己開示や指導の用い方は、彼自身が推奨したやり方よりはむしろ、現在の精神療法研究が最も有効であることを証明しているようなやり方に近かった。
P170 Instead, Freud’s personal expressiveness and extra-analytic involvements invite consideration of
each of these 43 analyses as a unique emotional and personal interaction between Freud and his analysand. Perhaps each outcome should be attributed more to these interactions and their qualities—warmth, support, acceptance, trust (or conversely, coldness, rejection, etc.)—than to insights achieved through an interpretive exploration of the transference.

170ページ)フロイトが人間として自分を表現し、分析外での関わりを持ったことで、これらの43例はフロイトとアナリザンドの間の、ユニークで情緒的でパーソナルなかかわりであったことを考えさせられる。これらの分析の効果は、転移の解釈的な探求により得られたものよりも、温かさ、支持、受容、信頼(あるいはそれらの反対の冷淡さ、拒絶など)によるものと考えるべきであろう。