吉田戦車さんの漫画って、どうしても、面白さがわからない・・・・・。
ということでこの論文はいよいよ本題に入っていく。やはりこのライスナーの論文、読んでよかったなあ。「トラウマ:誘惑的な仮説」という意味シンな表題もわかる気がする。こういうことを言っている。トラウマは自己愛の問題と深く結びついている、と。「米国では、トラウマは、崇高な位置を得ている」「サバイバーは権威を与えられ、尊敬のまなざしで見られる」「トラウマの体験は、芸術家や創造者がなかなか得られないものを得る事が出来ている」「そしてトラウマストーリーにおいては、被害者は無知で純真であることが期待されている」「トラウマの被害者は責任を逃れる事が出来る」「犠牲者は一般大衆に代わって苦しみを背負っている」「治療者は傾聴する特権を得ている。」そしてこのような考えの典型として、Davies, Frawley の次のような文章を引用する。「誘惑説は、患者の子供時代の現実の人々の証拠に基づくものである。それは自分の自己愛的な満足を得るために子供を利用する大人を罰するものであった。エディプス葛藤は、それに対して、子供時代の性的虐待は、子供自身の性的な願望によるファンタジーによるものだということを強調するのである。」DAVIES, J.M., & FRAWLEY, M.G. (1994). Treating the Adult Survivor of Childhood Sexual Abuse: A Psychoanalytic Perspective New York: Basic Books これはいただけない、というものだ。そして中立性を守ろうとする分析家は、結果として被害者側の方に過剰に寄り添ってしまうと批判する。
さて臨床をやる人間としては、ここに一つの大きな溝があり、両方に属する人間の間に対立が見られることがわかる。それは現代的な分析の立場VSフロイディアン。トラウマ論者対トラウマ理論に批判的な論者。この両者をよく見据えながら、中立性を保たなくてはならないということがよくわかる。しかしその上で言えば、世間はやはり被害者の方に冷たい。それもまぎれもない事実なのである・・・・・。
量的にはこのくらいかなあ。