2016年1月10日日曜日

精神分析におけるトラウマ理論(推敲5)

 ただしこの論文を読みながら、一つ思ったことがある。少なくとも現在の精神分析では、フロイトのトラウマ論を詳細に検討し直す動きも存在するということだ。フロイトのジャネと異なった治療的な試みは、トラウマ体験を統合しようとする方向性を持っていた。上述のトラウマの定義に加えて、フロイトとブロイアーは、情動を起こしたその出来事の際、それに対するエネルギッシュな反応が起きたかどうかによりトラウマが生じるかどうかが決まる whether there has been an energetic reaction to the event that provokes an affect. BBREUER, J., & FREUD, S. (1893). On the psychical mechanism of hysterical phenomena: Preliminary communication. Standard Edition 2: 3-17. といっている。つまり個人がそれをどのように扱っていくかが決め手となる。ところが最近のトラウマ理論では、トラウマはいわば病原であり、取り除かれるべきであり、患者は被害者であり、特別な存在であるというナラティブが支配的になっているのは問題であろうという。ライスナーが紹介しているヤングという人の論文は、DSM-III の作成委員会が、戦闘兵を犠牲者として、障害者年金を獲得することのできる存在として位置付けるかの議論があったという。(YOUNG, A. (2001). Our traumatic neurosis and its brain. Science in Context 14: 661-683.)戦闘兵が犠牲者であるためには、「戦争神経症」という診断はふさわしくない。「トラウマを受けることによる反応」というニュアンスの診断、つまりPTSDが必要だったのである。そしてそれがこの概念の絶大な成功を生んだ。ちなみにこの流れで、PTSDの概念は、フロイトの現実神経症に似ている、という説もあり、面白い。現実神経症とは、現実の性生活から生まれる問題であり、「そこに神経衰弱と不安神経症とが考えられ,前者は自慰過多,頻回の夢精のような性的疲労に基づいて,疲労感,頭痛,便秘,性欲低下がみられる。後者は禁欲,早漏,中絶性交のような性的満足が妨げられ,性欲がうっ積しているために,いらいら,予期不安,不安発作,心惇充進,呼吸困難,発汗,ふるえ,めまい,不眠,下痢,異常感覚などの症状が現れるものである」(以上、精神分析学辞典、岩崎学術出版社)フロイトはこれと精神神経症を分け、前者は心がそこに介在しないという意味で分析は不可能と考えていたようである。私もたまたま「制止、症状、不安」を読んでいて、現実神経症と戦争神経症は似ている、というフロイト自身の記述を発見してしまった。だから精神分析家がPTSDの治療に興味を示さないとしても、そこには深い因縁があったということになろう。