2016年1月7日木曜日

解釈を超えて(5)


あるケースについて
私がこのブログで臨床経験を書く事は皆無だが、例外がある。昔アメリカであっていた患者さんたちである。あまりに時間的にも距離的に遠く、個人情報的な問題もほぼないと言っていいからである。私がここでCさんのことを書いても、すでに匿名だし、「あ、あの人のことだ」とわかることは絶対にありえない。
ということでMさん。私のオフィスに週4回通っていただいた。30代後半の彼女は結構名の知れた作家であった。IQ160という彼女は、おそらく私があった中で最も聡明な人だったが、彼女もまたとてつもない「自分は何かがおかしい。自分が自分であってはならない」を抱えていた。事実彼女は「自分はおかしい I’m crazy」と毎日のように繰り返していた。

M「自分はどこかがおかしい」という気持ちを常に持っていたという。彼女はしばしば自分を「crazy 頭がおかしい」と表現した。そしていつも自分は衝動的で、何も達成できず、ゴチャゴチャ disorganized だという。Mはそう言いながら柔らかそうななめし革でできたバッグを見せてくれたことがあったが、確かにそこの中にはケータイ電話やハンカチや鍵が一塊になって入っているのだった。彼女の「何かおかしい」という話は自分の外見についても及んでいた。Mはいつか自分の写った写真を、「お化粧をしたオットセイのようね」と評したこともあるが、それは端的に彼女の外見に対する自信のなさを物語っていた。何度もダイエットを試みては失敗していることが、彼女の自信のなさをより一層深刻なものにしているようだった。 

(省略)  
このケースで興味深かったことは、Mは大変な高知能で、IQ160~165の範囲を出し、何度も確かめたが同じだったという経歴があるにもかかわらず、「自分はおかしい」と思い続け、私に何度も「自分はおかしくないか?」と尋ねたことがある。ある日私が歯医者で親知らずを抜き、鎮痛剤を飲みながらセッションをしていたことがある。私の顔を見て少し眠そうだったのだろう。「私はあなたを退屈にさせたのね…」とさびしそうな顔をしてから、「ああ、また例のやつが出ちゃったのね」と言った。私たちがそれから話し合ったのは、彼女にとっては「自分がおかしい」は、「人に好かれない」と表裏一体の現象であったということだ。