解離の理論との関連
このようにトラウマの犠牲になった子供はむしろそれに服従し、自らの意思を攻撃者のそれに同一化する。そしてそれは犠牲者の人格形成や精神病理に重大な影響を及ぼすことになる。Ferencziはこの機制を特に解離の機制に限定して述べたわけではないが、多重人格を示す症例の場合に、この攻撃者との同一化が、彼らが攻撃的ないしは自虐的な人格部分を形成する上での主要なメカニズムとする立場もある(岡野、2015)
(解離トラウマ研究会、2015年12月20日、市谷 ← 自分のことじゃないか!)
精神分析におけるトラウマ理論を論じるうえで、近年目にすることが多い解離に関する理論に触れておく必要があるだろう。その先導者ともいえるDonnel SternやPhillip Brombergの著書は邦訳も出ている(Sern, D. (2010) Partners in Thought: Working with
Unformulated Experience, Dissociation, and Enactment (Psychoanalysis in a New
Key Book Series, Routledge.ドンネル・B. スターン (著), 一丸 藤太郎 (翻訳), 小松 貴弘 (翻訳)「精神分析における解離とエナクトメント: 対人関係精神分析の核心」 創元社、2014年、Bromberg, P: (2011) The Shadow of the Tsunami: and
the Growth of the Relational Mind Routledge, 2011フィリップ・ブロンバーグ (著)、吾妻壮ほか訳「関係するこころ」誠信書房、2014年)
Brombergによれば、解離は基本的には正常範囲でも起き、それはたとえば物事に夢中になった一意専心のような状態であるが、深刻な解離に関しては、トラウマへの反応として位置付けられる。そして従来の精神分析における抑圧は不安に対する反応であり、抑圧理論のみに基づく場合には、患者が葛藤を経験できていないような外傷的な状況でさえ、常に精神機能を組織化しているように考えることになり、それが古典的な分析理論の限界であると論じる。彼の立場からは、葛藤への防衛が必ず解釈により解決するという姿勢そのものもまた問題となる。
Brombergによれば、解離は基本的には正常範囲でも起き、それはたとえば物事に夢中になった一意専心のような状態であるが、深刻な解離に関しては、トラウマへの反応として位置付けられる。そして従来の精神分析における抑圧は不安に対する反応であり、抑圧理論のみに基づく場合には、患者が葛藤を経験できていないような外傷的な状況でさえ、常に精神機能を組織化しているように考えることになり、それが古典的な分析理論の限界であると論じる。彼の立場からは、葛藤への防衛が必ず解釈により解決するという姿勢そのものもまた問題となる。
Brombergはまたトラウマを発達上のいわば「連続体」としてのそれ(発達トラウマ)としてもとらえる。この発達トラウマはまた、発達早期に親から受け入れられ、必要とされるという体験のそれが欠如することにも関係する。彼はこのトラウマtraumaを、性的虐待や暴力などに代表される、大文字のトラウマ Trauma と区別する。この発達との関連でブロンバークはまた、解離とメンタライゼーションとの関係についても論じ、Peter FonagyやJohn Allenなどの研究者による業績と自分の治療論を非常に近い位置においている。
このようにBrombergの立場は基本的にはトラウマモデル、ないしは欠損モデルのそれであり、そして彼が主として依拠するのはHS.Sullivanの理論である。すなわち解離において生じるのがSullivanの概念化した「私でない自己―状態not-me」なのである。その意味で、Brombergブロンバーグの彼の解離理論はトラウマ理論とサリバンの理論との合体というニュアンスがある。
SternやBrombergの解離の議論に特徴的なのは、その機制をエナクトメントの概念と絡めて論じる点である。エナクトメントは二者的な解離プロセスであり、その解離は患者だけではなく治療者をも包む繭のようなものとして表現される。そしてそれを治療的に扱う分析状況としてBrombergが提唱するのが「安全だが安全すぎない」関係性であるという。つまり早期のトラウマを、痛みを感じながらもう一度生きることを可能にする関係性なのである。Brombergはまた治療技法のひとつとしてFreudの「自由にただよう注意」に注目する。これはFreudが「強制的な技法」ではない自由な技法として提唱したが、患者の言葉の意味を見出すという作業にとってかわることにより、後世の分析家たちにとってはその目的を果たさなかったという。しかし関係精神分析的な「聞き方」とは、「絶えずシフトしていく多重のパースペクティブ」に調律することで、それは両者によるエナクトメントにも向けられるという。
Brombergの解離理論は、すでに新しい精神分析の行先を見越し、そこには解離と心の理論、愛着、脳科学などがキー概念となることを提唱していることである。ただ彼が扱う解離は精神医学的な「解離性障害」とは若干異なるということだろうか。ここで広義の解離と狭義の解離を区別すること、ないしは「精神分析的な解離」というタームを導入する必要が生じるかもしれないであろう。