2016年1月16日土曜日

精神分析におけるトラウマ理論(仕上げ) 2


フロイトの「性的誘惑説」の見直し

Freud が当初はトラウマの問題に深く関心を寄せていたことは、精神分析以外の世界では十分に理解されていない。その Freud によるトラウマの定義は、「神経系にとって、連想を用いた思考作業によっても運動性の反応によっても除去することが困難な印象はすべて、心的外傷になるのである。(岩波1、p307any impression which the nervous system has difficulty in disposing of by means of associative thinking or of motor reaction becomes a psychical trauma” (1892, p. 154).」というものであった。これは脳科学的な視点を取り込んだ現代的な理解と符合する、先駆的なものといえるものだった。
『ヒステリー研究』に関連する3篇、岩波「全集」1p307FREUD, S. (1892). Sketches for the ‘preliminary communication’ of 1893. SE1,  153.)。
Freud は当初はヒステリーの原因として、上述のような心的トラウマの中でも特に幼少時期の性的トラウマを重んじていた。Freud 1896年には、扱ったヒステリーの18例すべてに性的なトラウマが聴取されたという報告を行った(Freud, 1896)が、ウィーンの医学界の反応は非常に冷淡なものであったとされる。これがいわゆる「誘惑仮説」であるが、さらに同年126日にフリースにあてた書簡では、虐待者はすべて父親であったという見解にまで至ったとされる(Makari, 1998 。しかしその翌年の921日に、フリースあての書簡(Freud, 1986)で、この「仮説」が棄却されたわけであるが、その動機については議論が多かった。
 その後新たな資料が公開され、近年はその経緯を再検討するという動きがみられる。その中で1980年代に発表された Jeffery Masson の「真実への侵襲」(Masson, 1984 は、これを Freud 自身が孤立を恐れたために真実を曲げたためであるという説を提示して大いに議論を巻き起こした。しかし最近では彼の主張をより冷静に見直すという動きもある((Makari, 1998, Lothane, 2001, Reisner,2003)
Freud, S: Aetiology of Hysteria. SE.3, 1986.ヒステリーの病因論のために フロイト全集3、岩波書店
Masson, JM.: The Assault on Truth: Freud's Suppression of the Seduction Theory. Farrar, Straus and Giroux, 1984.
Freud, S. (translated by Masson, JM): The Complete Letters of Sigmund Freud to Wilhelm Fliess, 1887-1904 Belknap Press, 1986 ジェフリー・ムセイエフ マッソン (編集), ミヒァエル シュレーター (編集) フロイト フリースへの手紙―18871904 誠信書房 2001
Lothane, Z.: Freud's Alleged Repudiation of the Seduction Theory Revisited: Facts and Fallacies. Psychoanal. Rev., 88:673-723, 2001.
Makari, G.J.: The Seductions of History: Sexual Trauma in Freud's Theory and Historiography. Int. J. Psycho-Anal., 79:857-869, 1998.
Reisner, S.: Trauma: The Seductive Hypothesis. J. Amer. Psychoanal. Assn., 51:381-414. 2003.

それらの研究が強調するのは、Freud の「翻意」はむしろ「すべてのヒステリー患者が現実に性的なトラウマを負っていたというわけではない」という見解への変化と考えるべきだということである。実際に Freud は性的なトラウマの問題について、その後も様々なところで言及しているが、結局は性的トラウマがことごとくファンタジーだと主張するには程遠く、事実上述のトラウマ状況が現実に生じた可能性を考えていた。またMakari (1998) によれば、Freud の見解の変化には、当時の疫学的研究からも、父親がヒステリーすべての原因であるという見解を保持できなかったという事情も見える。

現代的な観点から検証した場合、Freud の「翻意」には複合的な理由があったにせよ、以下のような理論的な推移があったと考えるのが妥当のように思える。それはトラウマとなるための必要条件は幼少時における性器への直接の刺激が過度に起こったことであるが、それは直接の性的な暴行だけではなく、子供がファンタジーや自慰行為を行うことでも生じるという発想を得たことであった。フロイトが「性的誘惑」をことごとく起きなかったこととする必然性はなく、その後も性的なトラウマが実際に生じているという記載も行っている。
 ただしフロイトのトラウマ理論で欠如していると考えられるのは、性的な暴行を受けることと自慰による性器の刺激が全く心的な意味合いを異にするという点に十分な関心を払っていないように見受けられることである。言うまでもないことであるが、幼少時に生じる加害行為には性的な意味合いを欠いた身体的な暴力も、精神的な虐待もニグレクトも存在する。それは幼児を脅威におとしいれ、その主体性を蹂躙し、傷つける行為である。Freud がそのようなトラウマの基本的な性質に重きをおかず、性的な興奮という観点でしか考えていなかったことが問題であるといえよう。Masson や一部のフェミニストたちが主張した「Freud は世論に屈服した」という議論は、事柄の本質を突いたものとは言えない。