さらには「誘惑仮説」という表現の中の「誘惑」という言葉が持つ問題についても指摘されている(Makari, 1998) 。言うまでもなく「誘惑」という言葉には誘惑する側とされる側が想定し、子供が性的虐待に間接的に加担したというニュアンスを与える可能性がある。
上述のように Freud は幼児に対する性的な虐待の存在の事実を全面的に否定することはなかったが、同様にトラウマに関連した概念である解離という現象はその概念については、きわめて否定的であった。この概念についても、Freud は当初は深い理解を示していた。1892年の時点で、Freud は Breuer の解離に関する見解 (いわゆる「類催眠状態」) に全面的に同調して次の様に述べる。
「したがって、我々はその限りにおいて既に、ヒステリーの素因の特徴づけをもくろむ次のような仮定を取り上げることなくして、ヒステリー諸現象の成立の条件を論ずることは不可能であつた。その仮定とは、ヒステリーにおいては一時的な意識内容の解離が容易に生じるということと、連想によって結びついていない個々の表象複合がいきなりばらばらにされてしまうという事態が容易に生じるということである。よって我々はヒステリーの素因を、そのような状況が(内的な原因によって)ひとりでに発生するか、あるいは、外部からの諸影響によって容易に誘発されるという点に求めることになるのだが、その場合に我々は、ある系列においては、この二つの要因がさまざまに程度を変えて関与しているものと見なしている」
『ヒステリー研究』に関連する3篇、岩波「全集」1、p308(FREUD,
S. (1892). Sketches for the ‘preliminary communication’ of 1893. SE1, 148.)。
ここには解離が生じる原因として、当人の持つ素因とともにトラウマ因を重視したバランスの取れた見解が示されている。しかしすでにヒステリー研究(1895)において、Freud は類催眠状態の概念は本来自らのものではないとし、Breuer の同概念の、トラウマや退屈さのために不快な体験がスプリットされるという考え方には、力動性という概念が欠如していることを批判した。
Freud,
S. Studies on Hysteria SE 2 ヒステリー研究 フロイト全集2(岩波書店)
さらに Janet の解離理論についても、患者がもともと持つその人の心の弱さに棄却されるという点について批判を行っている。近年のトラウマ理論における乖離概念の扱われ方は、本稿の後半で再び論じる。
Ferencziの先駆性
こうしてFreudはトラウマのテーマから距離を置くようになり、1930年代になると、あたかも自身の1890年代までの性的外傷説の内容をより精緻化したかのようなFerenczi の発表に対しては、Freud自身が全力を持ってその公開を阻止しようとした。
しかし近年の関係精神分析においては、このFerencziの先駆性およびトラウマ理論の重要性が見直されつつある。2008年にはニューヨークにフェレンチセンターも立ち上がっている。わが国でも森茂起らによる翻訳により、Ferencziの業績が再考される機会が与えられている。
しかし近年の関係精神分析においては、このFerencziの先駆性およびトラウマ理論の重要性が見直されつつある。2008年にはニューヨークにフェレンチセンターも立ち上がっている。わが国でも森茂起らによる翻訳により、Ferencziの業績が再考される機会が与えられている。
Sándor Ferenczi S., Dupont, J. (ed.)
The Clinical Diary of Sándor Ferenczi Harvard University Press, 1995 (フェレンツィ著、 森茂起ほか訳 臨床日記 みすず書房、2000
Further Contributions to the Theory
and Technique of Psychoanalysis Ford Press, 2007精神分析への最後の貢献― (著), 森 茂起 (翻訳) フェレンツィ後期著作集 岩崎学術出版社、2007年。