2015年12月22日火曜日

フロイト私論(12)

ただしこのフロイト―フリース書簡集の「完全版」には「人間味のある」フロイトの側面だけでなく、倫理的に首を傾げたくなるような部分も描かれている。フロイトがフリースとの共通の患者エンマ・エクスタイン (その臨床像の一部は「イルマの夢」に登場する) について行った治療的なかかわりについてなどはその例である。フロイトはフリースに頼み込んでエンマの鼻の手術を施行してもらったが、そののちに彼女は鼻からの大出血を起こしてしまう。そしてそれはフリースが術後にガーゼをエンマの鼻の中に置き忘れたためのものとわかったという。これだけでも立派な医療過誤だが、フロイトはそれでもフリースの方をかばって、「エンマの出血は心因性のものだと主張した」とされる。オーマイゴッド! フロイトは患者を大切にせず、自分の研究や個人的な交友関係の方を優先させたという例だとされている。
第二の報告は、分析家としてのフロイトの臨床スタイルを知るうえで非常に参考になる。以前からサミュエル・リプトン(Lipton, 1977)は、いわゆるラットマン(鼠男)のケースその他におけるフロイトの実際の治療の様子について論じていたが、ポール・ローゼンというハーバードの政治学者は、フロイトが生前実際に治療した患者のうちまだ生存している人々に果敢にインタビューを行い、臨床家としてのフロイトの実像にさらに迫った(Roazen, 1995 )。さらにはこれらの研究に基づき、デビッド・リンらは、1907年から39年までにフロイトが治療した43のケースについてまとめている(Lynn, Vaillant, 1998)
このリンの報告によれば、フロイトは自らが著作において述べているやり方から常にはずれ、非常に「自己表現的expressive」であり、「強引なまでに指示的forcefully directive」であったとしている。さらにフロイト自身の「ブランクスクリーンであるべきだ」という勧めに関しては、彼自身がほとんどそれに従わず、100パーセントのケース(43例すべて) について自己開示を行い、72パーセントで分析関係外で患者との接触持ったという。すなわちフロイトは自らが定めている中立性や匿名性などの基本原則にはほとんど従っていなかったという、かなりショッキングな内容をこの論文は伝えていたのであった。
第三の報告は、実は第一、二番目に比べてはるかに深刻な問題を提起する意味で、フロイトの「スキャンダル」と呼んでも過言ではないだろう。私がメニンガー・クリニックで精神分析のトレーニングを受けている頃に明らかになったものであり、それが公表された新聞(New York Times, 1990316日付) のコピーをスタッフは競って読んでいたのを思い出す。
これはフロイトがある患者に対して行った治療に関する新たな史料が発見されたことに起因しているが、そのあらましを記してみよう(Edmunds, 1988)1920年代にホレイス・フリンクというアメリカの精神科医が、自分の精神の病の治療をかねてウィーンでフロイトの分析を受けた。フリンクは当時自分の患者である既婚女性アンジェリカ・ビジューと関係を持ってしまっていた。(実は精神分析の草創期は、そしてそれ以後も、分析家が患者と関係を持ってしまうことは、ありふれた出来事であり、それをしなかったフロイトがむしろ例外的に見えてしまうという事情がある。)
この分析治療が問題だったのは、こともあろうにフロイトはフリンクに、彼自身も妻と離婚して、アンジェリカも夫と別れさせた上で二人が結婚するように勧めたということだからだ。つまり患者と関係を持ってしまっている自分の患者に、それを制止するどころか、それをさらに教唆したということだが、そこにはある金銭的な事情がからんでいたらしいというのが、この一連の話のポイントである。そこにはアンジェリカが銀行の跡取りである大資産家であったということが関係していた。フロイトはフリンクに、「あなたは潜在的な同性愛者であり、しかもそれが顕在する恐れがあり、それを防ぐためにはアンジェリカと結婚する」必要があると説いたという。そしてフロイトは、「あなたが自分の潜在的な同性愛に気がつかないということは、私を金持ちにしたいという願望に気がつかないことと同じだ。」と言い、アンジェリカとの結婚による資産を精神分析に寄付することを迫ったというのだ。しかし二人の結婚はそれぞれのもとの配偶者の人生を狂わせ、フリンク自身も精神病を顕在化させ、それほど犠牲を払った結婚はすぐに破局を迎え、フリンクはその後非業の死を遂げることになる。アンジェリカの夫はフロイトを告発する文章を新聞に出そうとするが、結局はその機会のないままに病死をしてしまう。経緯から見てフロイトが彼らの人生を破壊してしまったといっても過言ではなさそうである。
以上の事実は、フリンクの娘の調査により明らかになったという。そこで見つかったフロイトからフリンクへの手紙が何よりもの証拠になったのである。非常に筆まめなフロイトがみずから招いた不幸とも取れようが、もちろんフリンクをはじめとしてこの一連の悲劇に巻き込まれた人々が最大の被害者であることは言うまでもない。
このような経緯を見る限り、いわゆる「フロイト神話」は崩れる一方にあるとしても無理ないであろう。1980年以降、公にされる資料や行われる研究はほとんどが、フロイトが理想的な治療者とはいかに異なっていたかについて明らかにする。なぜこのようなことが生じるのだろう? 私たちはそれでもフロイトを「信じる」べきだろうか?

ただしこの種の疑問は的外れなのであろう。なぜならその背景にあるのは、私たちの持つ、過度の理想化に走りやすい傾向だからだ。もとよりフロイトは高潔で公平無私の人間などではなかった。特別高い倫理観を備えていたとも言い難いところがある。冒頭で述べたとおり、フロイトを理想化し、その人間としての偉大さを強調しようとする限りは、それを否定するような材料はこれからでも続々と出てくる可能性もある。またこれは後に述べることだが、フロイトの人間性についてその完璧さを願いつつ資料に当たっても、結局はその倫理性に関してはむしろ俗人に近い印象を受ける。ではフロイトの何がすごかったのか?彼の真価はどこら辺にあったのだろう?