2015年12月13日日曜日

フロイト私論(3)


フロイトの自己愛をわかっていたフェレンツィ

フロイトの自己愛的な側面をそばで見守っていて、その気持ちをわかってあげたのが、フロイトより22歳年下のフェレンツィであった。(その詳しい事情は、最近アメリカで話題になったのフィリス・グロスカースの「秘密の指輪」(Grosskurth, 1991)や、ジョン・カーの「最も危険な方法」(Kerr, 1991)に詳しく書いてあるので、もし入手できればお読みいただきたい。)この当時のフロイトに対するフェレンツィのふるまいを見る限り、フェレンツィこそがフロイトの持つ自己愛的な問題について十分理解し、かゆいところに手の届くような対応をしていたことが分かる。そのせいもありフェレンツィは長期にわたってフロイトと訣別することなく忠実な弟子であり続ける事が出来た。その一番の理由はフェレンツィがフロイトの自己愛を上手に守ってあげたからではないかと私は思うのだが、もちろんその裏にはフロイトに可愛がられ続けたいというフェレンツィ自身の自己愛的な欲求があったことは想像するに難くない。そのようなフェレンツィの特徴を表したものに次のようなエピソードがある。
1912年頃にはフロイトとユングの関係はかなり疎遠なものになっていたが、その年の終わり頃、フロイトの弟子の一人であるシュテッケルの裏切り行為をめぐってフロイトが弟子達と会議を持つ必要が生じた。その時、フロイトとユングは珍しく長い散歩を共にしたが、その時ちょっとしたやり取りがあり、フロイトはユングの前で失神するというハプニングを起こしている。その後の手紙のやり取りの中でユングはフロイトを分析し、「あなたは本当は神経症患者を嫌っているから愛情を持って接触できないのではないか?」と書き送り、これはフロイトには相当こたえたようである。ところがこのやり取りを聞かされたフェレンツィは、「おそらくグループの中で分析を必要としていないのはあなただけだ」、「あなたはすべてにおいて正しい」、と言ってフロイトを慰めたということだ。
私はフロイトとフェレンツィのこの様なやり取りに非常に興味を覚える。考え様によっては、このように「自分にはもはや分析は必要ないのだ、自分は分析し尽くされているのだ」、と信じることや、人にそう告げることは、分析的な考え方の停止すら意味するといえるだろう。現代的な精神分析においては、分析家や治療者は他人(患者)を前にして必然的に起きてくる様々な感情、すなわち逆転移を率直に認め、それを治療的に応用することを原則にしている。これは治療者もまた人間であり、患者に対して様々な感情を持つこと自体は非常に自然であるという考え方に基づくものだ。つまり逆転移は、それを持つ事そのものが問題であるというよりは、それを持っている事を否認するところから問題が生じると考えられるようになったのだ。分析的な思考にとっての禁忌は、自分がもう自己分析を必要しないと主張してすべての問題を相手に帰してしまうことであろう
ただしこのような議論の裏には、治療者も含めた人間が持つ自己愛的な幻想、すなわち自分はすべてにおいて正しく、特別な人間であるというファンタジーをいかに抱きやすいかという認識がある。特に社会的な地位を遂げた人にとっては、自分の地位や業績を理想化し、自分を特別な存在であると信じる傾向(私のいう第二のタイプの自己愛的願望)は極めて自然に生じるものだ。フロイトも生身の人間だから、同様の傾向はあったのだが、何といっても精神分析の創始者だから、この様な自分の傾向に対する洞察も得られていたとの期待を私たちは抱きやすい。しかし実際は必ずしもそうではなかったようである。フェレンツィもまたこのような「禁じ手」を使ってまでフロイトを慰め、しかもそうすることでフロイトの寵愛を受け続けることを必要としていたわけなのだ。
しかし以上のように述べたからといって、私は天才フロイトの人間的な側面を批判するつもりは毛頭ない。人を批判する事がいかに安易で、いかに自己愛的な行為かはわかっているつもりである。私が言いたい事は突き詰めればただ一つ、それは人間にとって自己愛的な願望がいかに大きな意味を占めるか、いかにフロイト自身や彼の弟子たちが、その分析理論とは別に自己愛的なこだわりによって動いていたかということだ。フロイトは心理学や精神分析に関心のある私たちが最も良く知っている人であるため、この様な形で彼の人生を考察の材料に使わせてもらったわけだ。。
フロイトの精神分析家としてのキャリアーの前半と後半で、その自己愛の病理の質が変った可能性については、先にすでにふれた。すなわちフロイトは精神分析理論を確立する過程で、その自己愛的な願望の質が第一のタイプから第二のタイプに移っていったのではないかという仮説である。そこにはフロイトが理論体系を構築し、本を出版し、名声を高めて行ったことが、ある種の決定的な役割を果たしているといえるだろう。これは悪く言えば、人が自分の業績にあぐらをかいてその自己愛を肥大させて行くプロセスということになる。しかし見方によっては自分が生んだ作品を保護し、それを傷つけることなく温存しようとする気持ちは当たり前の事であるし、ある意味では母性本能にもつながるものではないかと考える。私はこれをあながちネガティブなものとは考えていない。むしろフロイトが自分の理論をそのまま弟子に伝える事に固執したことで、より強固な国際組織が維持され、現在まで国際精神分析学会として維持されてきたともいえるのだ。
フロイトをことさら擁護するわけではないが、彼の人生を振り返ると、彼が必ずしも自分の積み上げた業績に「あぐらをかく」タイプではなかったと考える根拠もある。これはおそらくフロイトの最も天才的な側面であり、またフロイト理論の分かり難さにもつながる問題である。彼の全集には、互いに矛盾する、あるいは晩年に近づくにしたがって棄却される理論や仮説が多くある。時にはそれまで基本原則としてきたような理論に対して疑いを挟むような事さえ書いているのだ。これは七十才をすぎた理論家の行った事としては驚くべき事だ。彼は精神分析の基本理念については強固な信念を持っていたにもかかわらず、その具体的内容を新たな、より自分にとって納得の行くものに変えて行く驚くべきエネルギーを発揮し続けた。これはおそらく自分の理論を聞いて欲しいという自己愛的な願望とは異なる、創造的な、天才的な側面であり、常人が容易に理解できないもう一つの顔という気がする。