愛着理論
愛着理論は関係精神分析において今後の議論の発展が期待される分野である。奇しくも2007年に「愛着:精神療法と関係精神分析における新しい方向性Attachment: New Directions in Psychotherapy and Relational Psychoanalysis」という学術誌の第一号が発刊となった。まさにRPと愛着理論との融合を象徴するような学術誌であるが、その第一号に登場したPeter Fonagy が熱く語っているのは(White, K., Schwartz, J. (2007).、愛着に関する研究の分野の進展であり、それの臨床への応用可能性である。最近は特徴的な愛着を示す幼児とその母親を画像診断記述を用いて研究をしているという。かのJohn Bowlbyの生誕100年に発刊したこの学術誌は、彼の研究と臨床とをつなぐ強い意思を体現しているといえる。
White, K., Schwartz, J. (2007). Attachment
Here and Now: An Interview with Peter Fonagy. Att: New Dir. in Psychother.
Relat. Psychoanal. J., 1:57-61.
現在愛着理論に関する研究は華々しい進展を遂げているが、その出発点としてのボウルビイは(1988), かなり明確に分析批判を行っている。
「精神分析の伝統の中には、ファンタジーに焦点を当て、子供の現実の生活体験からは焦点をはずすという傾向がある。Bowlby (1988)writes that there is a ‘Strong tradition in Psychoanalytic thought on focusing
attention on fantasy and away from the real life experiences of childhood’ (p. 100).
メンタライゼーション
メンタライゼーションの研究および臨床への応用は、上に述べた愛着理論の研究と密接な関係がある。メンタライゼーションの理論的な根拠は、従来の精神分析理論、愛着理論のみならず最新の神経生理学をも含みこむものの、原則的にはそれが発達途上の情緒的なコミュニケーションの失敗ないしはトラウマ(いわゆる「愛着トラウマ」)の産物であるという視点が貫かれているという点である。この理論の提唱者であるP.フォナギーやA.ベイトマンは、養育者から統合的なミラーリングをされなかった子供がメンタライゼーションの機能に支障をきたすプロセスをいくつもの図式を用いて詳しく論じる。彼らはともすると漠然として治療方針が見えにくいというRPに対する批判が当てはまらないような具体的な治療指針をそのプロトコールで示しているのだ。
ベイトマン A./フォナギー P.著 狩野力八郎・白波瀬丈一郎 監訳 メンタライゼーションと境界パーソナリティ障害 ― MBTが拓く精神分析的精神療法の新たな展開岩崎学術出版社、2008年
解離理論、トラウマ理論
D.スターンは、RPの野心的なリーダーの一人である。2014年の日本精神分析学会年次大会にも招かれ、基調講演も行っている。彼によれば、精神分析のテーマは、従来の分析家による解釈やそれによる洞察の獲得ということから、真正さ authenticity, 体験の自由度 freedom to experience そして関係性 relatedness に推移してきているという。そのスターンは特にエナクトメントの概念に着目し、それは、事後的に「ああ、やってしまった」「あの時は~だった」と振り返る形で、そこに表現されていた自分の無意識的な葛藤を理解するというプロセスを意味するという。そしてそのようなエナクトメントが起きる際に表現されるのが、自己から解離されていたものであるという理解を示す。
RPの世界でスターンとともに解離の問題を非常に精力的に扱っているのが、現代の米国の精神分析における新しい流れを代表する精神分析家P.ブロンバーグである。わが国でも彼の近著The Shadow of the Tsunami (Routledge, 2012) が「関係するこころ」(フィリップ・ブロンバーグ著、吾妻壮ほか訳、誠信書房、2014年)として邦訳されているが、彼の解離理論は、基本的にはすでに紹介したスターンと同様の路線にあると言える。ブロンバーグの著作からは、彼が「トラウマ論者」であるという印象を改めて受ける。「トラウマ論者」とは、人間の精神病理に関連する要因として過去のトラウマ、特に幼少時のそれを重視する立場である。彼はトラウマを、発達過程で繰り返し生じるものとして、つまり一つの「連続体」として捉える。そして自分の存在の継続自体にとって脅威となるトラウマの影響を tsunami(津波)と表現し、それが彼の著書の題目にも反映されている。(ちなみにこの「津波」は我が国を襲った東日本大震災とは直接は関係ない。)