2015年10月30日金曜日

母親の自己愛 (1)


加藤さんチェックもすでに終わっている自己愛の本に、もうひとつ章を付け加えたくなった。曰く「母親の自己愛」。本当はこれで本が一冊書けそうなテーマなのである。
 なぜ母親なのか?父親ではないのか、と言われるかもしれない。もちろん父親はナルシシストであることが多い。しかしやはり見えにくいだけに、母親の問題が大きいのだ。それは一見自己愛とは見えにくいために、扱い甲斐もあるのである。そしてこの項目を書く気にさせてくれた本として、一冊の漫画があった。田房永子作、「母がしんどい」(新人物往来社、2012年)。この本については後に登場させたい。
 母親問題は日本社会に蔓延している。いや世界中においてそうなのかもしれない。しかし日本における母親と子供、特に娘との関係にはやはり、独特で特筆すべきものがある。少なくとも私がよく観察をする機会を得た米国の母娘関係に比べてかなり特殊である。私もその息子バージョンを体験している。
日本の母親の特徴は何か。それを考える前に、日本人の特徴という問題に戻りたい。私は基本的には日本人を薄皮と考えるが、それは近年のセロトニントランスポーター遺伝子の研究からもある程度推察されることだ。この遺伝子の働きをわかりやすく表現するならば、中枢神経がセロトニンという神経伝達物質をどの程度使うことができるかを決定づけるものだ。それにはS型(短い遺伝子)とL型(長い遺伝子)があり、ひとはそれを、LL,LS,SSなどのように二つずつ持っている。そして両方がS型、つまり SSの場合に、人は様々なことに不安を感じやすい。
 2009年に発表されたある報告では、東アジア人はS型遺伝子を持っている割合が7080%と高く、ヨーロッパの4045%と比べると倍近い数値になっているという。そしてその中でもS型遺伝子保有者の割合が一番高いのが日本で80.25%、2番目が韓国で79.45%、以下、中国75.2%、シンガポール71.24%、台湾70.57%となっているという。 またアメリカ44.53%、英国43.98%、ドイツ43.03%、スペイン46.75%となっており、欧米人と比べるとアジア人が圧倒的に不安を感じやすい人種であることがわかる。(上の6行はネットの文章からのコピペが80%。でもどこでも同じような文章が拾えるからね。)
ただし日本人にはもう一つ几帳面さが特徴的で、それは日本人の持つ自己愛的な特徴、すなわち薄皮型であることとも関係している。それはどういうことか?(ナンだかテーマから離れてきたな。まあいいや。下書き段階だから。)几帳面とはつまり、「ちゃんとしていないと気が済まない」ということだ。わかりやすい表現だなあ。一回でも袖に腕を通したシャツや、一度使った食器を、さっさと洗いたくなる性質である。食事の後の歯磨き、でもいい。あるいは買い物の後のレシートを財布の中の所定のポケットに入れないと気が済まない。何かが汚染され、何かが「ちゃんとしていない」状態にあることが気になる。「ちゃんとしていない」ことが存在する限り、一種のアラームが心の中になっている状態なので、それを止めるべく、するべきことをしないと落ち着かない。
このような性質がどのような遺伝子情報と関係しているかはわからない。でもそれは街を見ればわかる。雑然としててごみが捨てられていても平気な人々か、塵一つ落ちていない街を好むか。車が多少凹んでいたり埃をかぶっていたり、傷がついていたりしてもいいのか、それともきれいにしていないと気が済まないのか。日本の町は後者だ。

生まれて初めて外国に住んだ体験。私の場合は1986年のパリであったが、そのとき思ったのは、「日本の車はみな新車が走っているようだ」ということである。それほどパリの車はみなポンコツで、汚れていた。細かいところまで気にしない体質が向こうにはあった。もちろんそれが文化における大胆さや新奇性を生む可能性はあるので、良し悪しは言えないが、とにかく日本人のコツコツやる性質に、この几帳面、こだわりが関係していることは間違いない。さてそれにセロトニントランスポーター遺伝子(俗に「不安遺伝子」と呼ばれている)が関係しているとどうなるか。几帳面さは不安と結びつくことで拍車がかかるのである