2015年8月17日月曜日

自己愛(ナル)な人(推敲 6/50)


4.サイコパス的な自己愛者
ナルシシズムとは結局、他人に心を及ばせない病理という事が出来るかもしれない。それはその人自身の中にある問題というよりは、対人関係おいて初めて明らかになるような問題だ。
 鏡に向かって髪型のセットに余念がない若者を想像してみよう。彼がそれを出掛ける前に何時間も行うとすれば、いかにもナルシシストと思われても仕方ないだろう。しかし彼が他人に一切迷惑をかけないのであれば、それを誰も責められない。人は結局自分のことで必死なのだ。そうでない人はむしろ例外だし,むしろ社会で不適応を起こしてしまうだろう。
しかし自分のことに没頭する分だけ他人にかかる迷惑を顧みないとしたら、それは正真正銘のナルシシズムの病理となる。自分の利益のために他人を利用したり害したりするならば、それは「悪」の定義そのものとも言えよう。そしてその意味ではサイコパスや、犯罪者性格、反社会性な傾向のある人たちは、社会の中で最悪のナルシシストである可能性がある。
ロバートヘアは、その広く読まれたサイコパスに関する著書の中で述べる。「サイコパスはいかなる人間同士の交流も、“餌をまく”チャンス、競い合い、あるいは相手の意思を試す機会としてみる傾向にあり、そこには一人の勝者しかいない。彼らの動機は人を操作し、奪うことなのだ。非常に、良心の呵責など感じずに。」(ロバートヘア著;診断名サイコパスP188 早川書房、1995
 もちろんサイコパスの多くは、そのナルシシズムを満たすことなく、刑務所に入って残りの人生を過ごすかもしれない。必ずしも自己陶酔の傾向がなく、ただ単に他人を害することのみに快楽を求める犯罪者たちもいるだろう。だからすべてのサイコパスがナルシシストとは言えない。しかし他方には、世の中には多くの、一見サイコパスとはわからないようなナルシシストもいる。結果としてサイコパス傾向のある一群のナルシシストについて考察を加える必要がある。
ということで本章ではサイコパスタイプの自己愛について扱う。
  そもそもASPDとは?サイコパスとは?

 まずはサイコパスそのものについて説明しておく必要があろう。現代的な呼び名は、反社会性パーソナリティ障害 anti-social personality disorder である。略して「ASPD」だ。これまでにも紹介した米国の精神疾患の診断基準であるDSMという「バイブル」により比較的明確に定義されているが、ASPDとは暴力的で衝動的、うそをつき、社会的ルールを守ることが出来ず、人の気持ちに共感できない、という人々をさす。過去にDVや犯罪歴を持っていそうな人たちであり、あまりお友達になりたくない人たち、それどころか目も合わせたくない人たちである。
参考までに、ここにDSM-5によるASPDの診断基準を掲げておこう。18歳以上で、以下のうち3つの項目を満たすもの。
違法で社会的規範に適合しない行動:逮捕される行為の繰り返し
虚偽性:嘘 をつく・騙す
衝動性:衝動的・無計画
いらだたしさと攻撃性:喧嘩・暴力
無謀さ:自分あるいは他者の安全を考えない無謀さ
無責任:仕事が持続 しない・経済的な義務をはたさない
良心の呵責欠如:他人を傷つけたり,いや がらせや盗んだ行為に無関心・正当化する
American Psychiatric Association. (2013) Diagnostic and statistical manual of mental disorders. Fifth Edition: DSM-5. Washington, D.C: American Psychiatric Association.(日本精神神経医学会日本語版用語監修  高橋三郎・大野裕監修 染谷俊之・神庭重信・尾崎紀夫・三村將・村井俊哉訳 2014 DSM-5 神疾患の診断・統計マニュアル 医学書院)
 それではよく耳にするサイコパス、あるいはソシオパスとは? 一般的な定義からすれば、衝動的で人の気持ちに共感できず、他人に対して残忍な行為を行う・・・・。これではASPDとあまり変わりがないのである!  しかし歴史的にはASPDよりずっと古いのが、このサイコパスの概念である。本家本元はこちらの方だ。昔からmoral insanity「道徳的な狂気」と称されていたものがこれである。精神医学の世界では、統合失調症や躁うつ病などが明確に定義される前から、罪を犯すような人たちをひとまとめにする概念が成立していた。おそらく社会にとっては害悪を及ぼす人たちをいち早くラベリングする必要性があったからだろう。それがサイコパスである。
 さてこれら両者の区別であるが、事実サイコパスという用語はしばしばASPDと混同して用いられる傾向があるし、ICD-10のように両者を同列に扱う基準もある。しかし一般的にはASPDが行動面から明らかな所見に留まるのに対して、サイコパスはさらに内面的な特徴、たとえば罪悪感の欠如や冷酷さなどに重きが置かれている。だからあえて両者を区別する際は、サイコパスの方がより深刻でより深い病理を差すというニュアンスがある。つまりASPDの中でより深刻な人たちがサイコパス、という理解の仕方が一応可能であろう。
 そこで以下にサイコパスという表現に絞って論じよう。サイコパスの特徴には様々なものがあるが、その中でも最大の特徴は、冷酷さであると考えられる。より年少から罪を犯し、より重層的な犯罪行為にかかわり、行動プログラムに反応をしないという。彼らは痛みによる処罰などにも反応せず、平然としているために行動療法的なアプローチがそもそも極めて難しいという問題がある。
  サイコパスに興味を持つ人にとって必読の書がある。それが既にご紹介したロバート・ヘアの「診断名サイコパス身近にひそむ異常人格者たち」という本で、わが国でも翻訳が出ている。(「診断名サイコパス身近にひそむ異常人格者たち」 (ハヤカワ文庫NF) ロバート・D. ヘア Robert D. Hare 早川書房 2000-08)ヘアはこの世界の大家で、彼の著作はサイコパスという概念が一般に知られることに大きな貢献をしたが、若干それが行き過ぎだったという批判もあるという。それは、サイコパスが私たちの生活で出会う人の中に数多く存在するという印象を与えすぎたというわけだ。
しかしヘアの本を読むと、彼の議論がまんざら誤っていないことが分かる。彼はサイコパスの出現頻度がおよそ100人に一人というが、もしその数字が誤りでないとするならば、北米だけでも200万人のサイコパスがいるという。日本だって似たようなものかもしれない。全国で120万人のサイコパス。東京だけで13万人のサイコパスがうごめいていることになる。
ただし彼らの多くは刑務所の中にはいない。映画に出てくるような連続殺人犯などはきわめてわずかであるし、そのような人はアメリカにも100人もいない、とヘアは言う。大多数のサイコパスは一般の社会にまぎれて私たちをだまし、搾取する。彼らは実業家や政治家にまぎれて私たちが分からない形で甚大な被害を与えるかもしれないという。

サイコパスは案外身近にいる

ロバートヘアは、サイコパス度のチェックリストを作成し、それを著書の中で公開している。基本的には以下の項目を、あてはまる(2点)、やや当てはまる(1点)、あてはまらない(0点)、のいずれかで回答して、全体の点数を見る。

1.口達者で表面的には魅力的
2.自己中心的で、自尊心が強い
4.ずるく、人を操ろうとする
5.後悔したり、罪悪感を感じない
6.感情が浅い
7.冷淡で人に共感しない
8.自分の行動と責任を結び付けられない(責任感という概念の欠如)
9.退屈しやすく、刺激を求める
10.寄生虫のように他人に依存して行動する
11.欲望を抑えるのが苦手
12.性的に乱れた行動をとる
13.現実的・長期的な計画をもとに行動できない
14.衝動的に行動する
15.責任を取ろうとしない(ルールを知っていながら義務を放棄する)
16.少年・少女時代から犯罪歴がある
17.幼児期から問題行動が多い
18.保護観察・執行猶予期間の再犯がある
19.短期間に数多くの結婚・離婚歴がある
20.多様な犯罪歴がある

ヘアは、総点が30点以上の場合に、サイコパスであるとした。ただし10~29点でもその傾向があるとしたのである。実はこれはこの種のチェックリストのマジックなのであるが、このカッティングスコアを設けたことで、それ以下の人々も予備軍と考える可能性を生む。こうして実は明らかにそうではないにしても、その傾向のある、いわばプチ・サイコパスが沢山いるという議論になる。
 ヘアは、それらの人が、世の中で成功した人たちに多い、という議論を展開した。これは本書における私たちの関心事でもある。何しろ世の成功者にはまた、多くのナルシシストたちが含まれるからだ。
ヘアはあるインタビューに答えて語っている。http://healthland.time.com/2011/06/03/mind-reading-when-you-go-hunting-for-psychopaths-they-turn-up-everywhere/ それによれば、サイコパスは一般人の100人に一人だが、ビジネスリーダーたちに限ってみると、その率は四倍に跳ね上がるという。確かに彼らは有能であればあるほど、ある能力にたけていることになるのかもしれない。それは会社の利益のみを追求し、必要とあれば一気に何千人もの従業員を解雇して路頭に迷わせることが出来る能力である。事実サイコパステストには、ビジネスに関しては「正解」なものも多いという。いわば資本主義ではサイコパス的にふるまえばふるまうほど利益があげられるということらしい。たとえば日本でのオレオレ詐欺の現状を考えてみよう。あれほど巧妙にやればやるほどもうかる商売はないと言える。