2015年8月18日火曜日

自己愛(ナル)な人(推敲 7/50)

 サイコパス的ナルシシストのつく嘘
ヘアのサイコパスの理論が広く知られるようになった一つの理由は、その実用性ではないだろうか。人を「この人はどの程度サイコパス的なんだろう?」という視点から見るのは、その人から利用されたり搾取されたりしないためにも、とても重要なことなのだ。特にその人とあなたがビシネスパートナーになる時は、そうであろう。サイコパスと一緒に事業を始めたら、いつ売り上げを持ち逃げされるかわからない。では恋人としてはどうか? 最初の情熱が覚めてしまえば、その相手はサッサとあなたのもとを去るかもしれない。あるいはその相手はあなたとの関係を利用して、あなたを搾取しようとするかもしれないし、DVの対象にされてしまうかもしれない。いずれにせよその相手とかかわったことが一生の不覚だという事態になりかねないのだ。
  私はサイコパスには様々な度合いがあり、多くの男性、そして数としては少ないながらも女性もサイコパス傾向を持つ可能性が多いと考える。そしてそのサイコパス度の決め手が、その人がどの程度嘘をつくかであると理解している。

ある男性があなた(女性を想定している)に接近してくる。人当たりが良く、話も面白く、誠実にも見える。多方面に能力があり、また今携わっている仕事も順調のようだ。おまけに学歴も高く、独身と聞いて、あなたは彼に夢中になる。しかし相手を深く知って行くうちに、細かな齟齬が気になりだし、かなり偽った、あるいは「盛った」話を聞いていたことに気付き始める…。
最終的にあなたが知りえた彼の情報が、最初とどの程度異なっているのか、彼がどの程度あからさまな作り話をして自分を大きく見せようとしていたかは、その人のサイコパス度を知るうえでかなり信頼のおける指標となるだろう。勤めている会社の規模や肩書が少し違っていたくらいなら目をつぶろう。しかし出身大学を偽っていたり、過去の婚姻歴が嘘であったり(実はバツイチ、子どもありと判明)であるとしたら、かなりその男性のサイコパス度は高くなるだろう。そして妊娠を告げた時に顔色が変わり、それ以降メールにすら返事が来なくなったとしたら、もうアウトである。あとで知ったところでは、離婚したとは嘘で、妻とはまだ調停中だったり、時々自宅に帰っていたりということがわかり、あなたはいわば架空の人に恋していたことに気が付くのである。
サイコパス的な人ほど相手の利益に自分の利益を優先させる。その人がどれほど優しくて、どれほど誠実に振る舞っても、それはおおむね自分のためなのだ。彼があなたの関心を引き、あなたの機嫌を取る必要がなくなった時に、初めてその人の本性が見えてくる。その際彼がどの程度の嘘までを自分に許容していたかは、その人のサイコパス度を知るうえでかなり重要な要素と言えるだろう。その意味では、サイコパス的な人の真の姿は、その人が特に気を使わなくてもいい、彼の利益に直接かかわらないような人に対しては、最初から最も良く示されるということができるだろう。
 忘れられないドクターDの「アイドントノー」
 米国で総合病院の精神科の勤務をしていた時のことだ。もう何年も前の話である。パートナーのドクターDと私は他科からのコンサルテーションを扱っていたが、どちらがコンサルテーションに応じるかについてルールを設け、時間帯で分けることにしていた。その日は午前中は私が受け、午後はドクターDが担当ということになっていた。微妙なのは、この交代間際の時間に舞い込んできたコンサルテーションである。コンサルテーションは通常の業務の上乗せであり、申し込んできた科の病棟まで足を運ばなくてはならず、その分厄介な仕事だ。どちらかと言えばお互いに譲り合ってしまう傾向にある。そこでさらに細かいルールを決め、まずはコンサルをナースが電話で受けた段階で、その時刻により、そのコンサルテーションの受け付け用紙の挟まったクリップボードを担当となるべきドクター(つまりドクターDか私)の机の上に置く、という約束になっていた。
 ちなみにドクターDは私より20歳も上の大先輩のメキシコ人の精神科医であった。私がレジデントの時はスーパーバイザーであり、一時はその総合病院の医長まで勤めていたが、上層部とけんかをして、結局一精神科医の立場に戻っていた。だから私がレジデントトレーニングを卒業して後は、ドクターDとの立場は対等であった。私とドクターDとは、お互いにファーストネームで呼び合う仲になっていた。ドクターDは陽気なラテンアメリカの豪快な気質そのものといった感じの精神科医で、スポーツで日焼けした肌に口髭が似合い、その口髭の先をサルバドールダリのように尖がらせるしゃれっ気があった。その端正な顔とともに、何とか男爵みたいな雰囲気のある人だった。声が大きく、注目を常に望んでいるような自己愛的な雰囲気を漂わせていた。ただどこかに怪しい感じ、したたかな感じがあった。一つには彼の言葉づかいにあった。彼は「I don’t know」をよく使った。彼はメキシコ人で少しの訛りはあったがほぼ完ぺきな英語を話す。しかし自分の責任を問われるようなことにしばしばこの「アイドントノー」が出てくるのである。英語の口語でのアイドントノーは「自分はそれを知らない」と言うほかに、「さあね」、「難しい問題だね」などのはぐらかしの言葉でもある。そこに彼の責任回避の傾向を感じ取ることができた。
ともかくもコンサルテーションの話だ。私の机と彼の机はつながっていたが、その日にナースが置いた受け付け用紙のクリップボードは、二人の机の間の、でも明らかにドクターD寄りの位置であった。私はそれを見て、「ああ、正午を過ぎていたんだな。だからナースはドクターDの方に置いたつもりだったんだ。でも少し紛らわしい置き方をするな。」と思っていた。それから私は別の仕事に向かうつもりで席を外していたが、その間にドクターDがオフィスに戻ってきていた。そして一足遅れて戻ってきた私に、「ケン、キミはタイミングが悪かったようだね。」という。ふと机を見ると、クリップボードは微妙に、しかし明らかに私の方に寄せられていたのである。そしてちょっと小細工をしたはずのドクターDは、平気な顔で昼食を取りに行く気配である。私は「やられたな」と思い、ドクターDの巧妙さ(?)を改めて知ったという訳である。

ドクターDの例は、正確には「嘘」に関する例ではない。その行為の疑わしさ、ないしは非倫理性である。ただおそらく彼には小さい嘘は沢山あったのであろう。それが、彼が一度は医長にまで昇進した際に役立ったのかはわからない。
 このドクターDはサイコパスだろうか? それともこのぐらいの小細工は人は結構やるのだろうし、その意味では普通のことだろうか? そしてこんなことを20年以上たってもしつこく覚えている私の方が問題だろうか? 答えはわからない。しかしこの手のズルはむしろ社会適応上有利に働いてしまう可能性があるという寂しい現実があるということも示しているのである。もしどこかでドクターDに出会う機会があったら、この私の考えを話して、彼に率直な意見を尋ねてみたいものだ。しかし彼は言うだろう。「アイドントノー」。

「成功したサイコパス」がナルシシストになる?
もしロバート・ヘアが言うように、社会における成功者には必然的にサイコパス傾向の人が多いとなると、社会的な成功によりナルシシズムを肥大させている人たちの中には、これまで見た「厚皮型」だけでなく、サイコパス傾向を持った人も混じっていることになるのではないだろうか?この問題を考えるうえで参考になるようなニュースがしばらく前に報道された。
「勝ち組」はジコチュー? 米研究者ら実験で確認
お金持ちで高学歴、社会的地位も高い「勝ち組」ほど、ルールを守らず反倫理的な振る舞いをする――。米国とカナダの研究チームが、延べ約1千人を対象にした7種類の実験と調査から、こう結論づけた。28日の米科学アカデミー紀要に発表する。
 実験は心理学などの専門家らが行った。まず「ゲーム」と偽って、サイコロの目に応じて賞金を出す心理学的な実験をした。この結果、社会的な階層が高い人ほど、自分に有利になるよう実際より高い点数を申告する割合が多かった。ほかに、企業の採用面接官の役割を演じてもらう実験で、企業側に不利な条件を隠し通せる人の割合も、社会的階層が高い人ほど統計的に有意に多かった。別の実験では、休憩時に「子供用に、と断って用意された」キャンディーをたくさんポケットに入れる人の割合も同じ結果が出た。 (朝日新聞デジタル、2012228)http://www.asahi.com/science/update/0228/TKY201202270655.html
もちろんこれらのキャンディー好きが正真正銘のサイコパスである必然性はない。しかしおそらく「プチ・サイコパス」くらいには認定してもいいのかもしれない。サイコパスにも「ちょいワル」程度から連続殺人犯までのスペクトラムがあるはずだ。その中で軽傷の部類が、社会的な成功者の中に多いという話だ。
 ところで「勝ち組は自己チュー」と言われると、読者はまだ次の様な疑問を抱いているかもしれない。「ではすべてのサイコパスはみなナルシシストか?」
 この問いについては、サイコパスの本質とは何か、という問題に立ち戻って考えてみよう。サイコパスとは自分を利するために人をだまし、利用し、犯罪行為を犯す。要するに人を食い物にする人たちだ。しかし人を食い物にする仕方はいくらでもあるだろう。詐欺を働いてもいいし、殺人を犯して金品を強奪するという手もある。
 しかしサイコパスの中には、人から尊敬されたり、畏れられたり、恋愛感情を向けられたりすることに無上の快感を覚える人たちがいる。要するに自己愛傾向を持つ人たちだ。彼らがその目的のために用いるのは、嘘であり、見せかけの優しさであり、時には恫喝である。すると彼らが最終的に自己愛が満足するような状況を作り上げることが出来るかは、それらの嘘や優しさの表明や恫喝の「巧みさ」だというころになる。
 いかにサイコパスが人を欺こうと必至になっても、彼らのスキルが半人前であったら、人はやがてはその虚偽性を見抜いて去っていってしまうであろう。サイコパスが最終的に自己愛を満たすためには、彼らが「巧み」でなくてはならない。そのためには自分の魅力と限界を知り、どのような振る舞いが成功に導き、どのような振る舞いが逆効果なのかをよく知っておく必要がある。そうでないと、自己愛を満たすまでのレベルにまで至らないのである。その意味ではサイコパス型のナルシシストは、その中でもごく一部の、ある意味で才能ともいえるような能力を備えた人と言い切っていいだろう。
ここで成功したサイコパスに共通したひとつの要素を見出すことは難しいだろう。人が誰かに魅力を感じるための要素は千差万別である。それは美貌であったり、歌のうまさであったり、人の操作の巧みさだったりする。時には性的な魅力を用いることの巧妙さだったりする。
 木嶋佳苗(彼女のことは後にもう少し詳しく取り上げるが)の写真を見て、おそらく多くの人が思ったであろう。「一体全体どうして彼女に複数の男性はだまされたのだろう?」木嶋の顔写真は多くの男性が見とれてしまうようなそれではなかったかも知れない。それでも彼女が複数の結婚詐欺により多額の金を得ることが出来た秘密は、彼女自身が誇らしげに自著で語っている「性的な魅力」かもしれないし、あるいは本人がまったく気がついていないような魅力かもしれないのだ。
 しかしこのように考えていくと、ひとつ重要な疑問にいたる。世の中で成功している人たちは、この成功したサイコパスと本当に大きく違うのだろうか?
 先ほど述べた「勝ち組は自己チュー」の記事を思い出していただきたい。実は社会での成功者をまず取り上げ、その中に、サイコパスの要素を見出すことは、意外なほどに容易なのである。ということは私たちの身の回りにも、国会にも ・・・・・・・。
 私たちは改めて、大衆にアピールするということの意味を考えなくてはならない。世の中でもてはやされている人は、本当にその価値があるのだろうか?人はその人の主張や人間性を本当に理解したうえでエールを送るのであろうか? 実は必ずしもそうではないのだ。経済心理学や行動経済学という学問分野があるが、それが伝えているのは、人がいかに宣伝や印象や先入観といった表層的な心理に基づき行動をしているかということである。言うならばいかに人の心を操作して自分の都合の良い反応を引き出しているか、ということにかかってくる。
そのように考えると、「勝ち組」の人たちに共通する特徴は、その人がいかに誠実か、いかに正しい情報を発信しているか、いかに中立性を保っているか、大衆の利益のことを考えているか、ということとは全く異なる一連の特徴を備えていることになる。それはむしろいかに自分を大きく見せるか、誇張や歪曲をいとわずに深い印象を与えるか、いかに自分を利する方向に誘導するか、というスキルに長けているということになる。そう、「勝ち組は自己チュー」は、考えてみれば、当たり前のことなのだ。オソロシ―。(まあそれでも一応、良心的な勝ち組も、考えておこう。)
ところで勝ち組は全てナルシシストか、といえばこれもまた違うだろう。冷静に自分の会社の利益を考え、時には虚偽の宣伝をしながら、本人はと言えば目立ちたがらず以外に謙虚、という社長さんもいるかもしれない。ちょうどサイコパスが皆ナルシシストとは限らない、という話と同じである。

だからちょっと図を描いてみるとこうなる。ややこしい話だ。