2015年8月3日月曜日

自己愛(ナル)な人(52/100)

 もう、正直この美人の項目をやめたくなっている。まともに書ける気がしない。私は美人のことを少しもわかっていないのだ。もうテキトーに書いてしまおう。
美人のナルシシストの典型について書こう。
美人の素質はおそらく幼少時には明らかである。生後すぐの赤ちゃんの顔は通常は皺くちゃで、その整い具合を判断しがたい。蛹から羽化したばかりの、羽がクシャクシャなままの蝶のようなものだ。しかし生後一二カ月では将来の顔かたちをある程度まで占うことができる。
 3歳頃になるとかなりはっきりとした顔立ちになり、「将来は美人さんだね」などと周囲の大人から言われたりする。もちろん本人には深い意味は理解できないが、何か自分が特別のものを与えられているのではないか、という満足感を伴った想像が芽生えてもおかしくない。美人のナルシシズムの萌芽である。
 小学校に入る前から、おそらくは幼稚園の頃から、将来の美人はその顔立ちのために、男の子たちの特別の注目を浴びるようになっている。[自分の幼稚園時代のことを思い出して書いているに過ぎない。] ただし小学校時代の美人さんたちはその振る舞いの優雅さや運動能力もコミで評価されることが多い。顔立ちが整っていても、極端に引っ込み思案だったり、性格が暗かったり運動能力に難があったりすると、美人の要素はそれとしてはあまり評価されないこともある。それに何といっても子供である。美少女といってもまだ鼻梁は低く、幼児願望であり、インパクトは少ない。しかし運動能力も比較的優れ、ふるまいに優雅さや知性のきらめきを備えた美少女は、クラスの中で特別の存在として光を放ち始める。
 彼女たちが特別にその振る舞いが優雅である必要はないが、美人であることは、その振る舞いや声をひときわ美しいものに際立たせる可能性がある。そしてそのことを彼女たちもおそらく既によく自覚している。わずかではあるが、「私は特別よ」オーラを既に出し始めている少女もいるだろう。クラスの悪戯な男子がその美少女の前に出ると、へどもどしたり急にぎこちない表情になり、「〇〇ちゃんを好きなんだ」という噂が立ったりする。クラスの中の美少女ランキングなどという不躾な順位付けが行われて、自分がいつもトップに選ばれることを美少女はどこかで承知している。[この辺、幼稚園時代の、××ちゃん、小学校時代の●●ちゃんのイメージをそのまま書いている。名前まで鮮明に憶えている。彼女たちはどうしているかな。] 
 ただしその少女たちが自分が美人であるという事実に甘んじているかどうかはわからない。多くの少女たちはそれを自己愛的な満足体験としているかもしれないが、別の少女はそれをむしろ疎ましく、あるいは後ろめたく感じている可能性がある。
小学生時代の美少女の一部は、それから受難の時期を迎える。第二次成長期を迎えて、実は顔立ちに大きな変化がある。上額、下顎などの顔面を構成する骨の何が特にスパートをかけて来るかわからない。すべてが均等に成長すると美少女は本格的な美人になっていくが、一歩間違うと、思春期を経た美少女はすでに美少女ではなくなっている。それとは逆に、美少女という認識は周囲に与えなかったような少女が急に大人びて美女に変身するという場合もある。[ここら辺は小6で急に背が伸びて、美少女の面影がなくなってしまった△△ちゃんのことを思い出している。ハリーポッターの、ダニエル・ラドクリフとエマ・ワトソンは思春期になって明暗が分かれてしまったな。] あれだけ人気があって、チヤホヤされ、女王様のように振る舞っていた彼女が、一番多感な思春期に差し掛かってその地位から突然陥落したことを自覚した時の気持ちはどうだったろう。
ということで美人のナルシシズムについて書きながら、私はむしろ彼女たちに同情的である。美人がナルシシズムに浸っていいではないか。私は彼女たちの味方である。美人にはナルシシズムに浸る権利がある。人を心地よくしてくれる力を持っているのだから。

それに美人として世間から認められ、扱われる期間は決して長くはない。早晩普通の人になっていく。あるいはかつての美人だった人、という扱いを受ける。「まだお美しいですね」というような言い方をされる。その意味ではこれは「お若いですね」と言われるのと似ている。あくまでも期間が限られ、得意になれる期間はすぐに去ってしまう、と言う事を本人も周囲も理解している。その間は大目に見てあげればいいのではないか?