美人のナルシシズム
実はもうお気づきの方もいらっしゃると思うが、ネタが始んど尽きかけているのだ。もともと本書(ナンの話だ?)は、私が書き流せるような内容を想定している。(最近の本は、読むのに手間がかかる本は売れない。こちらが呻吟して、頭を絞って書いたものは、したがって望まれていないのだ。)手間のかかる資料集めを必要とせず,思い浮かぶ内容を書く以上、何も浮かはなくなったらオシマイなのだ。
自己愛というテーマならいくらでも書けるだろう、などとたかをくくっていたが、情ないことだ。自慢ではないが、私は好奇心が旺盛な割に社会経験がすくない。更に私にとって、ブログという場では直接の臨床例を書くことは出来ないため、せっかく患者さんから聞いたことも書けない。ということで、この段階になると、書くことは殆んど私の想像の域を出ない。
ともかくも…美人であることのナルシンズム。これが存在しないわけがない。ここでは「美人」として女性を対象にするが、見た目が美しいことにより彼女たちが持ち得る特権はおそらく計り知れないだろう。私は女性を美醜で差別するもりはなく、場合によってはそのことに明確な反対の意を唱えるという意図のもとに主張したいのだが、たとえばマスメデイアで「美人」を優遇する傾向はあまりに露骨すぎはしないだろうか? ドラマの出演者も、ニユースキャスターもお天気お姉さんも、各局は競って美形を揃えている。あるいは週刊雑誌の表紙をかざる女性の顔かたちはどうだろう?美形に一定の数値、たとえば偏差値が当てはまるとしたら、おそらく70以上は必要ということにもなるのだろう。たとえば、「週刊なんとか」の表紙に、ごく平均的な女子大生か掲載されたら、これは一種の事件扱いされてもおかしくないだろう。
美人がメデイアに登場する最も明白な理由は、それが雑誌の購売数やテレビの視聴率に反映するからだろう。それ以外に業界が高いギャラを払い、人気美人モデルを起用する理由はあり得ない。ではどうして美人が購売欲や、視聴意欲を高めるのかと言えば、身も蓋もないことを言ってしまえば、それか人の報酬糸を刺激し、心地よくするから、ということに尽きるだろう。そのような研究は実際にある。(Aharon,I et al. :Beautiful Faces Have Variable Reward Effect. fMRI and Behavioral effect. Neuron 32: 537-551、2001)
このハーバード大学の学術的な調査によれば、fMRIを用いて検査をすると、男性が「美人」と感じた女性の写真を見ている時には、明らかに報酬系の一部の側坐核が興奮していることか示されているという。この事実が端的に物語つているのは、美人は笑いかけることで、多くの男性に、そしておそらく女性のかなりの部分にも心地好さを提供するという、素敵な能力を備えている、ということなのである。美人とは、美しい一輪の花のように、人を幸せにする存在なのだ。私はこれ自体はこの上なくすばらしいことだと思うのだが、ひとつの重要な問題がここに生じる。それは言うまでもなく格差である。一部の恵まれた人のみが美人としての恩恵に浴する。もちろん美人の基準が人により異なることも確かであり、また美人が体験するのは決して有難いことばかりではない。
ところで美人は自分か美人である、ということを自覚しているだろうか? 理屈から言えば、そんなことはない。なぜはら「美人ですね」と言われた女性が「はい」と答えた状況に、私たちは一度たりとも出くわしたことかないからである?? というのは半分冗談のような話だが、例えば「スタイルがいいですね」とか「目が大きいですね」程度のコメントには「そうですか?」程度に答えることもありそうなのにもかかわらず、「美人ですね」には決してそのまま受けることが出来ないほどに、自らを美しいと自覚することを表明することには様々な制限が自らによって加えられているのだ。そしてそれだけに「美人であること」は彼女たちにとっていかに強烈な自己愛の満足をもたらしているかを示しているのではないだろうか? (ちなみに今のは日本人の女性の話である。欧米人に「あなたは美しい」というと、「あーら、ありがとう。」となる。ほぼ間違いない。)
ところで書いていて思うのだが、「私は美人」とぃう自覚にともなうナルシシズムは、たとえば女性が「私は若い」と自覚することや、「私は女子高生である」と自覚することにともなうナルシシズムとどこか同類である気かする。それは自分の状態が object of men's desire であるということの自覚なのであろう。
話を戻して、美人の自覚について。もちろんあるだろう。ある魅力的な女性が、若いころのことを思い出していった。「少し露出を多くしただけで、男性の目をシャワーのように浴びたわ。」「完全に自分の魅力を意識し、男性を思いのままに操っているという感じがした。」しかし同時に私が不思議に感じるのは、どう見ても魅力的と感じるにもかかわらず、全くそれを自覚しない、あるいはそれが信じられない、という人も多いようである。一方で美人という自覚があり、そのために男性たちが注目しているということを認識している。しかし決定的に自信にかけ、それが誇らしさや自己愛の満足に全くつながっていない場合もまた多いのである。
話を戻して、美人の自覚について。もちろんあるだろう。ある魅力的な女性が、若いころのことを思い出していった。「少し露出を多くしただけで、男性の目をシャワーのように浴びたわ。」「完全に自分の魅力を意識し、男性を思いのままに操っているという感じがした。」しかし同時に私が不思議に感じるのは、どう見ても魅力的と感じるにもかかわらず、全くそれを自覚しない、あるいはそれが信じられない、という人も多いようである。一方で美人という自覚があり、そのために男性たちが注目しているということを認識している。しかし決定的に自信にかけ、それが誇らしさや自己愛の満足に全くつながっていない場合もまた多いのである。
もうボツだね。全然だめだ。