自己剽窃は続く。
モンスターという名の自己愛者
ある患者さんがこう言った。「なかなか外に出られなかったんですが、ようやく近くのスーパーにいけたんです。それでレジでお金を払う時、小銭を出そうとして財布の中を探して、それでちょっと、ほんの数秒ですが支払いに時間がかかったんです。すると次に並んでいる男の人が聞こえないくらいの音でがチッと舌打ちをしたんです。この世の中はなんて怖いところなんだろう、と思うと、外出するのが怖くなりました。」
この話の怖いところは、この状況での舌打ち程度なら、だれでもしてしまう可能性があるということだ。私も駅で急いでいる時などに、改札で前の人のICカードがはじかれたりすると、ため息程度は簡単についてしまう。私も含めて、世の中は、少しでもミスをしたり、秩序を乱した人に対してすぐに文句を言うような、いわばプチ・モンスターたちがウヨウヨしているようなのだ。
いま「モンスター化現象」なるものが我が国のいたるところで起きている。生徒が、保護者が、部下が、カスタマーが、患者が、対応に出る相手に厳しくクレームをつける。彼らのクレームに根拠がないわけではない。しかしその言い方が攻撃的で、やたら感情的なのだ。
彼らに責め立てられる教師や管理職や店員や医療職従事者は、場合によっては深刻なトラウマを受けている。教師や管理職や医療従事者の中にはそれでうつ状態に陥ったり、仕事を休んだりするということも起きている。
しかしモンスター化現象は、一部の異常な人たちによる現象ではない。私たち一人一人が、社会の中で、あるときある状況でモンスターになってしまうという可能性だ。たとえばレジでチッとやるプチ・モンスター客のように。日本で一番問題数の多い自己愛な人たちは、このモンスターの姿を借りているかもしれないのだ。
彼らに責め立てられる教師や管理職や店員や医療職従事者は、場合によっては深刻なトラウマを受けている。教師や管理職や医療従事者の中にはそれでうつ状態に陥ったり、仕事を休んだりするということも起きている。
しかしモンスター化現象は、一部の異常な人たちによる現象ではない。私たち一人一人が、社会の中で、あるときある状況でモンスターになってしまうという可能性だ。たとえばレジでチッとやるプチ・モンスター客のように。日本で一番問題数の多い自己愛な人たちは、このモンスターの姿を借りているかもしれないのだ。
私がこれらのモンスターたちをナルシシストの仲間に入れて論じるのには根拠がある。彼らはモンスターぶりを発揮しているときは、クレームをつけている相手のことが見えていない。そして自分はサービスを受ける側である、という一種の特権意識を感じている。相手を自分を持ち上げ、リスペクトを向けるべきであるという、ある意味では見下した視線を向けている可能性が高いからだ。そしてそれはナルシシストの典型的な心性なのである。
このモンスター型のナルシシストには一つの特徴がある。それは社会の限られた状況で、それこそ一般人がナルシシストとして出現する、ということだ。病院の受付で対応のまずさに文句を言うモンスター患者は、しかし職場であるコンビニのレジでは、まじめに黙々と顧客対応をしている。時にはモンスター型の客の対応に四苦八苦することもあるかもしれない。彼女はまたいったん家庭に帰れば、いいお母さんだったり、いい妻だったりする。ただ少しむしゃくしゃした時に、自分がカスタマーという立場に立つ状況で、ある時プチ・モンスター化するのだ。
私たち一般人のプチ・モンスター化は、だから日常的な、よくある現象かもしれない。しかし問題はそれが社会のあらゆる場面で増えているらしいということなのだ。一体現代の日本で何が起きているのだろうか。どうして私たちは最近になり、これまで以上にプチ・モンスターという形での自己愛者になり、たがいにトラウマを与え合っているのだろう?
このモンスター型のナルシシストには一つの特徴がある。それは社会の限られた状況で、それこそ一般人がナルシシストとして出現する、ということだ。病院の受付で対応のまずさに文句を言うモンスター患者は、しかし職場であるコンビニのレジでは、まじめに黙々と顧客対応をしている。時にはモンスター型の客の対応に四苦八苦することもあるかもしれない。彼女はまたいったん家庭に帰れば、いいお母さんだったり、いい妻だったりする。ただ少しむしゃくしゃした時に、自分がカスタマーという立場に立つ状況で、ある時プチ・モンスター化するのだ。
私たち一般人のプチ・モンスター化は、だから日常的な、よくある現象かもしれない。しかし問題はそれが社会のあらゆる場面で増えているらしいということなのだ。一体現代の日本で何が起きているのだろうか。どうして私たちは最近になり、これまで以上にプチ・モンスターという形での自己愛者になり、たがいにトラウマを与え合っているのだろう?
モンスター現象のひとつの説明としてよく聞かれるのが、現代人の未熟さや他罰性(他人を責める傾向)のせいというものである。
モンスターたちを「未熟な人たち」とする根拠
モンスター化は人格の未熟さだという説を提唱する人の一人が嶋崎政男氏である(「学校崩壊と理不尽クレーム」)。ナルシシスト、というよりは子供っぽい、未成熟な人たちととらえるのだ。
嶋崎氏によれば、モンスターペアレントの問題が生じ出したのは1990年の後半か、あるいは公立学校で学校選択制が導入された2000年の可能性もあるとする。ただ社会の耳目を集め、マスコミがこぞって取り上げるようになったのは2007年であったという。「投石での窓ガラス破損に弁償を要求したら、親が『そこに石があるのが悪い』と言った」とか「学校で禁止されている携帯電話を没収したところ『基本料金を支払え』と親が言った」という例は有名らしく、他の関連書にもしばしば登場する。
嶋崎氏の著書では、モンスター化現象の「原因」について触れている。彼はまずモンスターペアレントの問題が、彼らの年代にあるとする。この問題が深刻化した1990年代の半ばに義務教育を受けた子供を持つ親は、現在40歳代、50歳代である。それはかつて新人類と呼ばれ、共通一次世代とも言われた人々でもある。そして彼らの特徴として、諸富祥彦明大教授の説を引用している。つまり「他人から批判されることに慣れておらず、自分の子供が批判されると、あたかも自分が傷つけられたかのように思って逆ギレしてしまう」というのだ。
嶋崎氏はさらに1980年代に全国の中学で校内暴力が吹き荒れたことにも言及している。それを間近に見て、「何をやっても許されるという幼児的な万能感に基づいた身勝手な不条理がまかり通るのを体験して育った世代が、「教師への反発、反抗は当たり前」という感覚を持つようになったことは容易に頷ける、とも書かれている。
モンスターペアレントに関する論述は多いが、その原因についての論調はこの嶋崎氏や諸富氏のそれと類似しているという印象を受ける。
嶋崎氏はさらに1980年代に全国の中学で校内暴力が吹き荒れたことにも言及している。それを間近に見て、「何をやっても許されるという幼児的な万能感に基づいた身勝手な不条理がまかり通るのを体験して育った世代が、「教師への反発、反抗は当たり前」という感覚を持つようになったことは容易に頷ける、とも書かれている。
モンスターペアレントに関する論述は多いが、その原因についての論調はこの嶋崎氏や諸富氏のそれと類似しているという印象を受ける。
しかしよく考えると、このことはモンスター化が急増する理由を十分に説明していない気がする。もしモンスターたちが「未熟な性格」なら、なぜ彼らは社会の別の場面では普通に振る舞えるのだろうか? もちろん彼らが育った環境は、彼らのナルシシズムにそれなりに貢献しているのであろう。しかしそれ以外の要素も考慮に入れるべきであろうと考える。