2015年7月15日水曜日

自己愛(ナル)な人(33/100)

アスペルガー障害の自己愛的な怒り-「浅草通り魔殺人事件」を例に


今日も自己剽窃満載である。

アスペルガー型の自己愛についてはすでに項目を立てて述べた。その怒りの問題についてここで述べたい。
 「自己愛トラウマ」→怒り という図式については、すでに説明したとおりである。問題はこの自己愛トラウマが実に理不尽で、身勝手なものであるということであった。自己愛者たちは、きわめて不可解な理由で傷つき、イカる。一般人からみたら「どうしてそんなことでキレるの?」「自分で勝手にキレているだけでしょう?」と言いたくなるような理由で怒るのだ。そしてその怒りの理不尽さ、理解不可能さは、実は彼らの自己愛の病理の深刻度に比例していると言える。自己愛の病理が深く、彼らの「ナルシシズムの風船」が異様に膨らんでいると、普通の人には思いつかないような理由でも、その風船への刺激となり、それが破裂して怒らせてしまう可能性が高くなるのだ。
そこにアスペルガー障害の病理が加わると、自己愛トラウマの起き方もその不可解さが増す。彼らが独自のロジック、考え方のパターンを持っていて、通常の考え方では追えないということが一番の原因と言えるのだ。

2001430日、東京の浅草で19歳の短大生が刺殺されるという事件が発生した。ずいぶん前の話だが、犯人のレッサーパンダの帽子をかぶった奇妙な男の写真を覚えている方も多いだろう。札幌市出身で当時29歳の無職のこの男は、普段は非常におとなしい性格だったというが、浅草の繁華街で見かけた女性に「友達になりたいと思って」声をかけようとして、結局この凶行にいたったという。「歩いていた短大生に、後ろから声をかけたらビックリした顔をしたのでカッとなって刺した」と供述しているとのことである。

これは私の憶測であるが、この犯人はおそらく普段他人から相手にされていないことにいらだち、フラストレーションをためていたという可能性がある。アスペルガー症候群にしばしば見られるのはこの種の被害者意識であり、自分を理解しない社会への憤りである。興味を持った女性に対して向けられた攻撃性の一部はそれに関係しているのだろう。
 ここで重要なのは、犯人はこの若い女性に「びっくりされた」ことにプライドを傷つけられた可能性が大きいということだ。馬鹿にされた、というのが体験としては近いのではないだろうか。つまり「自己愛トラウマ」だった可能性があるのである。もちろんそう感じた思考過程はブラックボックスの中であるが、人の表情に見られる感情表現を誤認する、あるいは理解できないという問題は特にアスペルガーの患者さんたちに顕著である場合が多い。彼らの予測不可能な自己愛の傷つき → 不可解な怒りの暴発 というのがアスペルガー型の自己愛を特徴づけているわけだ。
すでに紹介した「恥と自己愛トラウマ」の中でもう一つ私が挙げている怒りの例も、アスペルガー型の自己愛の傷つきに由来するものとして比較的いい例となっているので、これも紹介したい。(と言いながら、自己剽窃を続ける。)

「秋葉原通り魔事件」における犯人の怒り
この事件は20086東京秋葉原で発生し、7人が死亡、10人が負傷したというものである。その唐突さと残虐性のために、おそらく多くの私たちの心に鮮明に記憶されているだろう。犯人の運転する2トントラックは、交差点の赤信号を突っ切り、歩行者天国となっている道路を横断中の歩行者5人を撥ね飛ばした。トラックを降りた犯人は、それから通行人や警察官ら14人を立て続けにダガーナイフでメッタ刺しにしたのである。
犯人は青森県出身の25歳の男性KTで、岐阜県の短大卒業後、各地を転々としながら働いていたという。「生活に疲れた。世の中が嫌になった。人を殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった」などと犯行の動機を供述したが、携帯サイトの掲示板で約1000回の書き込みを行っていたという。携帯サイト心のよりどころにしていたわけだが、そこでも無視され続けたという思いが募り、さらに孤立感を深め、殺人を予告する書き込みを行うようになっていった。当日の犯行の直前にも、沼津から犯行現場まで移動する間に約30件のメッセージを書き込んでいたという。
さて極めて凄惨な出来事であり、日本人を震撼させたとはいえ、既に旧聞に属しかけたこの事件について、のちに犯人が最近になり獄中から手記を発表した。それが「Psycho Critique 17[解](JPCA, 2012年)」であるが、その手記を読む限り、やはりこの犯行には犯人の自己愛の傷つき、「自己愛トラウマ」が関係していると考えられるのである。つまり自分のメッセージに誰も反応してくれないことで、犯人は深刻な「自己愛トラウマ」を体験していたと言える。例によって全く理不尽な、加害者不在のトラウマを、である。