2015年7月11日土曜日

自己愛(ナル)な人(29/100)

2部 怒れる自己愛者

ここからしばらくは、怒れる自己愛者一般について論じる。つまりタイプ分けした自己愛ではなく、それら一般に共通した怒りの問題について考えてみるのだ。
実はこのテーマは「恥と自己愛トラウマ」という昨年上梓した本(岩崎学術出版社)にかなり触れられているが、そこでの内容をダイジェスト版でここで示したい。読者の方はナルな人たちは人を傷つけ、迷惑をかける人々と理解しているであろう。それはその通りなのだ。しかし彼らの自己愛的な振る舞いには、それなりの理由が、心の力動が背景にある。そのことを理解しないと、なかなか彼らを理解し、うまくかわしたり、いなしたり、逆に操ったりすることが出来ない。まずは「汝の敵を知れ」、である。

自己愛の傷付きほど苦しいものはない

私たちの人生の中で最大の傷つきはなんだろうか? おそらく人前で恥をかくということである。私たちの日常は、いかに恥をかかないか、という思考に支配されていると言っていい。
社会で生きていくためには、様々な行事があり、会議がある。そこに出て自分は一定の役割を演じなくてはならない。そこでの失態は、それがたとえどんな小さな場であっても、恥の経験、自己愛の傷つきにつながる。
それが一対一での商談であっても、その程度は変わるものの傷付きの性質は変わらない。ある仕事上の付き合いのある人と商談を計画する。相手も準備に時間を費やし、自分も資料作りに時間をかける。そしてようやく迎えた会談の場で、あなたは鞄をあけて、けさ机の上から、全然違う書類を取り上げてしまったことを知る。あなたの面目はつぶれ、信用を失い、無駄な時間を費やすことになった相手に平謝りをするしかない。
これだけでもあなたの心を数日間は憂鬱にさせるのに十分かもしれない。しかし相手は一人である。あなたはその失態が会社全体に迷惑をかけるということでもない限りは、一人の人間に対して恥じるだけで済むのだ。
でも相手が大勢で、あなたのパフォーマンスに期待してきている場合はどうだろう? たとえば役者としてのあなたのセリフがトンだら?舞台の真ん中で立ち往生するしかないだろう。その時の体験はトラウマになるはずだ。
私は記憶した内容が突然出てこないことでそのようなアクシデントに見舞われるのは真っ平であるから、そのような仕事についていないことに深く感謝をしている。しかしエピソードとしてそのような恐ろしい話を聞いたことがある。前著「恥と自己愛トラウマ」にも書いた内容だ。

ウィキぺディアの桂文楽の項に次のような記載がある。
最後の高座
高座に出る前には必ず演目のおさらいをした。最晩年は「高座で失敗した場合にお客に謝る謝り方」も毎朝稽古していた。1971(昭和46年)8月31国立劇場小劇場における第5落語研究会42回で三遊亭圓朝作『大仏餅』を演じることになった。前日に別会場(東横落語会恒例「圓朝祭」)で同一演目を演じたため、この日に限っては当日出演前の復習をしなかった。
高座に上がって噺を進めたが、「あたくしは、芝片門前に住まいおりました……」に続く「神谷幸右衛門」という台詞を思い出せず、絶句した文楽は「台詞を忘れてしまいました……」「申し訳ありません。もう一度……」「……勉強をし直してまいります」と挨拶し、深々と頭を下げて話の途中で高座を降りた。
舞台袖で文楽は「僕は三代目になっちゃったよ」と言った。明治の名人、3代目柳家小さんはその末期に重度の認知症になり、全盛期とはかけ離れた状態を見せていた。
以降のすべてのスケジュールはキャンセルされた。引退宣言はなかったものの二度と高座に上がる事はなく、稽古すらしなくなったという。程なく肝硬変で入院し同年1212日逝去した。享年79

想像しただけでも恐ろしい話である。桂文楽がその後急に衰えてなくなってしまったのもよく理解できる。それまでの落語家としての人生が、最大の汚点を残して事実じょう終わってしまったのであるから。
実は私は同様の心配を現在のタイガー・ウッズにも持っている。
彼は歴代2位のメジャー選手権優勝14回、史上2人目のトリプルグランドスラム達成を果たした人間である。しかしあれほど一世を風靡したゴルファーが、2012年に大恥をさらけ出したスキャンダルにまみれ、その後復帰後も本調子といえず、今年(2015年)2月のフェニックス・オープンで自己最悪の「82」を喫し、最下位で予選落ちである。彼のプライドはズタズタであろう。

以上の桂文楽、タイガー・ウッズの例は、自己愛の傷つきを表しており、彼ら自身が自己愛人間であったと主張するつもりは私にはない。ただしそれぞれの分野で名を成した人にはそれにふさわしいプライドや振る舞いがあるだろう。彼らだってその例外だったとは考えられない。そしてそのプライドや自己愛にとって、彼らの失敗はどれほど痛手だったかは想像に余りあるだろう、ということだ。