2015年7月9日木曜日

自己愛(ナル)な人(27/100)

特殊能力が彼らを自己愛的にする
アスペルガーの人たちは、実際に自己愛を満足してもおかしくない事情がある場合がある。それは彼らがしばしば知的なレベルが高く、学校で好成績を修めたり、趣味の世界で傑出していたり、芸術等で特異な才能を発揮したりするからである。それらが極端な場合はサバン症候群と呼ばれるが、それほどではなくても通常の人々よりかなり優れた力を発揮する、いわばプチサバンともいえるアスペルガーの方は非常に多い。彼らがしばしば発揮するオタク性は、いわばその片鱗なのである。
 彼らの高い知的レベルに関しては、良く知られたことである。与えられた知識を整理して頭に詰め込む作業は、彼らにとってはしばしば快楽的な活動となる。学校の成績に優れるということは、子供にとって大きな意味を持ち、進学校においては大きなステイタスとなる。成績に優れることで、担任から目をかけられることであり、クラスメートからも一定の経緯を払われることになる。それが彼らの自己愛を満たすことも多い。

 私が大学時代に身近に接することができた友人Cは、ある有名進学校の高3になるまでは勉強もせず、クラスにもなじめず、劣等生扱いを受けていたという。このころは自信もなく、クラスでも隅で大人しくしていたというが、たまたま顔を出した化学クラブでDNAについての話を聞いてから生命科学にのめりこみ、たちまち学術書を読みふけるようになった。それとともに英語も一気に語彙数が増え、高3の最後の半年で一気に受験勉強を仕上げて有名大学に入学した。Cにはこれが実に大きな成功体験となったようである。たまたま受けた知能テストでも150台を叩き出し(ただし自己申告である)、「アタマがいい」は彼にとっての一つのアイデンティティになった。それ以降大学でも定期試験に対する勉強を徹底して一種のゲームと認識し、いかに授業に出ずに最小限の勉強で合格するかについて絶対的な自身を獲得したようであった。大学時代はその頃等に下火になっていた学生運動の活動家の部屋に入り浸る一方では、単位獲得のためにあくせく勉強をするクラスメートを完全に軽蔑しきっていた。試験では直前になり彼が「がり勉」と称するクラスメートのノートを借りまくっては最低の点数でパスするということを繰り返した。Cは時々大学の飲み会に出没しては、空気の読めない、「俺はアタマがいいんだ」オーラを発し続け、「あいつの態度は何だ!」と総スカンを食らうという状況になった。結局大学生活でも学生運動でも仲間になじめないでいたが、大学は無事卒業した。しかし卒後に入った企業では案の定不適応を起こし、半ば自宅に引きこもりのような状態で過ごすこととなった。

アスペルガー障害が特異な才能を発揮するという現状はどのように考えるべきだろうか?IQ148以上の人が属するというメンザという組織でも、そこにいる人のアスペルガー障害を持つ割合は、一般人に比べてかなり高率とされる。きわめて大雑把な言い方になるが、アスペルガー障害には、一部の脳の機能低下の二次的な結果として何らかの機能が促進されるという傾向がある。明確な科学的な根拠はないながらも、十分な傍証がある。なぜ盲目の人に音楽の特異な才能を有するサバンが生じやすいのだろうか? 脳梗塞により皮質の機能が損なわれた後に美術の才能を開花させるということが生じるのはなぜだろうか?
 アスペルガーに見られるような脳の局所的な機能低下、具体的には上側頭溝、紡錘状回、扁桃体、内側前頭前野、といった部位の活動の低下が、脳のそのほかの部位の機能の向上に貢献している可能性がある。この種のシーソー関係は良くあり、機能低下を起こしている皮質に別の領域からのニューロンの進入が生じたりする。大脳の皮質でも機能同士が領土の取り合いをしているというところがあるが、アスペルガー障害を持つ人は、社会脳の機能不全ゆえにその働きが高まるという事情が彼らの特殊能力を支えているというところがある。そのためかアスペルガー障害は他の精神科的な障害に伴うようなスティグマ性がやや低いというところがある。自分がアスペルガーであるということは、その分「アタマガいい」というところが若干あり、その成果発達障害の専門家と言われる人々が、「いやあ、実は僕も30%アスペルガーが入っているんです」などと自虐的に言ったりすることにもつながるのだ。(●●専門の○○先生のことではない。)
 アスペルガーの彼らの特殊能力が花開くのは、当然のことながら幼少時、ないしは遅くても思春期前である。サバン症候群の場合には、ごく幼い頃から傑出した能力が明らかである場合が多い。そしてアスペルガー障害自身がそれほど深刻ではなく、むしろそれらの能力の高さを前面に押し出して他人に影響力を発揮することができるのであれば、彼らは自己愛的な満足を得ることもできるであろう。
前出の「ぼくはアスペルガー症候群」の著者Gさんは、小学生のときはいじめに会うこともなく、むしろクラスのリーダー的な存在であったという。発達障害イコールいじめられっこ、という図式が成り立たないことは実は少なくないのである。