2015年7月6日月曜日

自己愛(ナル)な人(24/100)

サイコパス的なナルシシストの記述。ずいぶん引き伸ばした気がする。
今日からは
アスペルガー的なナルシシスト
である。
アスペルガーという名前は日本では散々広まった挙句、「もうその名前は使われなくなった」とまで言われることがある。しかしそんなことはない。バイブル「DSM-5」からその名前が抜けたというだけだ。ただしそれにすぐに従う必要はない。それはあまりにあからさまなアメリカ追随の傾向と言えるだろう。
 そもそもDSM-5の傾向、つまり人の名前を冠した病名(ミュンヒハウゼン症候群、アスペルガー障害、レット症候群、などなど)を回避して、なるべく一般的で馴染み安い名前にするという方針自体が、一つの流行であり、私たちはそれにすぐ左右されてしまう傾向がある。それに一度使われてしまっている病名を、一般名にすること自体が面倒だということがある。それもまた何年後かの「DSM6」では変えられてしまう可能性があるのだ。DSM-5ではアスペルガーの代わりにASD(自閉症スペクトラム障害)が掲載されたが、これは事実上アスペルガー障害(というかそれを含んだ広い障害の総称)というわけだ。アスペルガー概念がなくなったわけではなく、呼び方が変わったということである。それだってもう一つのバイブルWHOICD-12でどうなるかはわからない。
ともかくも・・・・。このアスペルガー障害を持った人たちも、時々すごくなるに見えてしまうことがある。こんな例を示したいが、もちろん詳細はかなり粉飾してプライバシーを保護してある。
事例)
米国で出会った40代の白人女性Bさん。海外体験だから、比較的自由に書ける。学校の数学の教師をしていた彼女は、これまでも赴任先で様々な問題を起こし、職を失いそうになっていた。Bさんは愛想を振りまくタイプではなく、どちらかというと無口で黙々と授業の準備をすることが多く、職場でも無愛想で周囲はどのように話しかけていいか困ってしまうことが多かったらしい。それに大学院の数学科でかなり優秀な成績を収め、研究者として残る選択肢もあったというBさんは、そこら辺の高校教師には負けないというプライドもあるらしい。
 さてBさんは話し相手が見つからずに、人知れず寂しさを抱えていたらしい。その結果うつ気味になり、誰かに精神科に会うことを薦められたという。そして私に会うなり、かなり強引に私に毎週の30分の面接を要求してきた。これは私の多忙な外来では例外的な条件ということになるが、私はBさんの勢いに圧倒され、気がついたらそれを引き受けていた。この面談は彼女の体験する職場での理不尽さを辛抱強く受身的に聞くことの繰り返しとなったが、私にとってかなり辛い体験だった。「Bさん、でもそれは・・・」と相手方に少しでも理解を示すようなことを私が言おうものなら、Bさんは烈火のごとく怒るのである。「先生の意見なんか聞いていません!余計な口は挟まないでください。」
 やがて私はBさんにぞんざいに扱われているという感じがしてきた。Bさんの一週間の予定表のひとコマにされたという感じである。Bさんの不満を吐き出すゴミ箱になった気持である。彼女は面接時間の開始が少しでも遅れると私を糾弾し、また私に書かせた診断書の文言の細かい点について、何度も訂正を要求した。私の英語の問題もあり、これには相当苦労した。
 私はダメもとでBさんを地元の低料金のカウンセリングセンターに紹介した。彼女の前でその隔週の30分を過ごす人物は私である必然性はないと思えたからだ。すると一見大学教授風の風貌の男性心理士に対して「精神の専門家ともいえない心理士に、私の深い悩みはわかるはずない!」と、たちまち初回面接だけで彼を解雇して戻ってきてしまった。私が後からその心理士から話を聞くと、次のようなことだった。「Bさんのこれまでの対人関係について話を聞き、彼女の方にも原因があるのかを尋ねたところ、彼女は突然怒り出し、『初めて会ったあなたに何がわかるの?』と言って部屋を出て行ってしまった」のだそうだ。
B
さんとの治療関係は、私の帰国を期に切れてしまったが、私はあれほど面接の際に緊張し、何とかに睨まれたカエルのような心境になったことはない。そしてやはりBさんはある意味でナルシストだったと感じるのだ。

それ以来私が出会ったアスペルガー傾向のある人たちは、ある特徴を持っていた。彼らはある種の世界観を有していて、そこから物事を見る。そこには一種の達観があり、「人はこのようなものだ」という開き直りがある。でもそれが一方的であり、物事の一面しか見えていないという印象を与える。周囲はそれを伝えようとするのだが、彼らは動じない。むしろ「どうしてこんなこともわからないのか?」という視線を一般人に向ける。それが時にはひどく傲慢な、あるいは自己愛的な印象を与えるのである。
 もちろん彼らは苦しさを抱え、満たされない愛情欲求を持つ。彼らだって人とわいわい騒いだり、友達や恋人と楽しい時を過ごしたい。しかし人といてどうしようもない壁を感じる。自分を異質と感じ、それ以上に周囲が自分を異質に感じていると感じる。どのように異質なのかはわからない。彼らには「ヒカれている、遠ざけられている」という感覚しかない。自分たちの振る舞いが、他人のように「自然」ではないということは感じる。しかしどのようにふるまったら「自然」になれるのかは見当がつかない。彼らは「ふつう」になりたいと思う。自分を「異星人」のように感じる人たちもいる。

見方によっては、アスペルガーの人たちは気が弱く、臆病なのだ。事実非常に引っ込み思案でいつも隅っこにいる人たちもいる。しかし中にはある一芸に秀で、それを通して自分が優れているという感覚を過剰に持つ人もいる。すると変な自信がついて傲慢にふるまうようになる。彼らの能力からすれば、周囲はあまりに平凡でバカみたいに見えるのかもしれない。そのような一部の人たちが、確かにナルシシストの一部を形成しているのである。