2015年7月5日日曜日

自己愛(ナル)な人(23/100)

サイコパス型自己愛の記述が続いているが、決して本としてのカサを増やそうとしているとか、そんなことではない。ゼッタイだ。単にこれは面白いテーマだからだ。 しばらく前に読んだダン・アリエリの「ずる」という本が気になっていた。これもこのテーマに関係している。これをネタにして少し書き足したい。

私たちの中に潜む「サイコパス的自己愛」
                                 
サイコパス的な自己愛について論じることを終わるにあたって、一つ十分に議論していない問題について振り返りたい。結局私たちの中にサイコパス的な自己愛は、どの程度存在するのか、という問題である。
これまでも述べたように、自己愛とは理想的な自己像に同一化して快感を味わう度合いにより判断される。他方のサイコパス性は他人をどの程度侮り、搾取し、時には危害を加えるかという問題にかかってくる。この両者が共存すれば、サイコパス的な自己愛者ということになる。
ではそもそもサイコパスとはどの程度存在するのか? これについてのロバート・ヘアの説は紹介した。大体サイコパスは人口の1%ということになる。他方ドラマのテーマになるような根っからのサイコパス、連続殺人犯になるような極悪人は100人に満たないという。そして全米にいる200万人、日本にいる100万人のサイコパスは、政治家、弁護士、医者、教授、会社重役などの様々な職種の中に紛れ、人を搾取するという理屈である。
 これらをプチ・サイコパスと呼ぶなら、実はそれ以下の小者のサイコパス、言わば「マイクロ・サイコパス」(私の造語である)は、実はそこらじゅうにいて、おそらく私たち自身がそうであるという話がある。
米国の心理学者ダン・アリエリーは人がつく嘘や、偽りの行動に興味を持ち、しゃまざまな実験を試みた。
 彼の著書「ずる―嘘とごまかしの行動経済学」(櫻井祐子訳、早川書房、
2012年)はその結果についてまとめた興味深い本である。
アリエリーは、従来信じられていたいわゆる「シンプルな合理的犯罪モデル」(Simple Model of Rational Crime, SMORC)を批判的に再検討する。このモデルは人が自分の置かれた状況を客観的に判断し、それをもとに犯罪を行うかを決めるというものだ。要するにまったく露見する恐れのない犯罪なら人はそれを犯すであろうと考えるわけである。しかしアリエリーのグループの行った様々な実験の結果はそうでなかったという。彼は大学生のボランティアを募集して、簡単な計算に回答してもらった。そして計算の正解数に応じた報酬を与えたのである。そのうえで厳しく正解数をチェックした場合と、自己申告をさせた場合の差を見た。すると前者が正解数が平均して4であるのに対し、で自己申告をさせた場合は平均して二つだけ水増しし、6と報告することを発見するということである。そしてこの傾向は報酬を多くしても変わらず(というか、虚偽申告する幅はむしろ多少減少し)、また道徳規範を思い起こさせるようなプロセスを組み込むと、ごまかしは縮小した。その結果アリエリーは言う。 「人は、自分がそこそこ正直な人間である、という自己イメージを辛うじてたもてる水準までごまかす」。そしてこれがむしろ普通の傾向であるという。つまりこういうことだ。釣りに行き、魚を4尾釣れた場合、人は両親の呵責なく、つまり「自分はおおむね正直者だ」いう自己イメージを崩すことなく、家族に6尾釣った(ということは二尾逃がした)と報告するくらいのことはやるというのだ。もちろん「4尾」を「6尾」と偽るのは、まさしく虚偽だ。自分は正直である、という考えとは矛盾する。しかし人間は普通はその共存に耐えられる、ということでもあるのだ。先ほどのSMORCが想定した人間の在り方よりは少しはましかもしれない。しかしここら辺の矛盾と共存できる人間の姿を認めるという点では、かなり現実的で、少しがっかりするのが、このアリエリーの説なのである。
   さてここでこれまで検討した正真正銘のサイコパス型ナルシストと比べてみる。木嶋の心にあった矛盾は、「男性を自分は救済した」と「自分は男性を殺害した」という矛盾であったはずだ。彼女はこの途方もない矛盾を抱えることが出来たという意味では、やはりきわめて病的な心を持っていたということになる。 しかしプチ・サイコパスたちはどうだろうか?米国でエンロンが2002年に破綻した時、一連の粉飾会計操作が行われている間、そのコンサルタントをしていた人たちは、その一連の不正が「見えていて」「見えていなかった」という。これを彼らは「希望的盲目willful blindness」と呼んだらしいが、その性質は本質的には「4尾」と「6尾」の矛盾と変わりない。しかしその矛盾の度合いが、ずっとサイコパスのレベルに近づいているということだ。

このように私たちの中にはマイクロ(私たちの大部分)から正真正銘(日本に100人?)まで様々なレベルのサイコパスたちがいて、自分たちの自己愛的なイメージと、それと矛盾するような現実との間に折り合いをつけて生きているのだ。そして繰り返すが、彼らに共通しているのは、「自分はイケてる」という、時には全く根拠のない感覚なのである。