2015年7月4日土曜日

自己愛(ナル)な人(22/100)

    3/200 に例を追加した。
まず最初に例を挙げてみよう。
ある大学の整形外科のA教授(60歳、男性)は、医局員から結構ひんしゅくを買っている。彼はその地方大学の出身であり、出世頭で業績も確かなものがあるので、教授にはなるべくしてなったのであろう。後輩の面倒見も悪くはない。鷹揚で悪気のない性格もそれ自身は問題ない。でも彼の趣味に医局の全員を従わせようとするのだ。飲み会に行くとA教授の自慢話が始まり、しかも同じ話が多い。国際学会で発表をしたりすると、その後半年間はその時の思い出話が繰り返され、しかも少し酒が入るとそれが繰り返しという認識がなくなる。彼は学生時代にバンドをやっていたというのだが、なんと家で妻と娘を誘い、バンドを結成してしまう。そしてその様子をCDに焼いて医局員に配り、その感想をしつこく聞くのである。
 A教授には著書も多く、テレビ出演も時々ある。その時は医局員はあらかじめその番組を見るようにしつこく言われる。もちろん録画したものがDVDに焼かれる。次の日の昼休みはその鑑賞会になるのだ。A教授は取り立ててイケメンということはなく、むしろナントカ原人を思わせる風貌である。低身長、髪もマスゾエ知事とどっこいどっこいで、女性の医局員やナースが騒ぐということもない。教授と言う立場は大きな力の集中する地位であり、それにしたがって注目を浴び、丁重に扱われるのはむしろ当然であるが、それ以上に扱われるにふさわしい人徳がA教授に備わっているということもない。
 A教授は特に誰に憎まれているという訳ではないが、皆が不思議に思うことがある。どうしてあれほどまでに、自分の書いたもの、話したことを医局員に見せたがるのか、あるいはそうすることが迷惑だということがどうしてわからないか、である。彼の頭には「自分が受け入れられない」と言う発想がないかのようなのだ。
      自己愛な人 9/200 に挿入する部分を書いた。たまたま読み直したオザワさん(仮名)に関する手記が秀逸だったからだ。
ではこのオザワさん(仮名)はその配偶者にはどのように映っていたのだろうか?
松田賢弥:小沢一郎 淋しき家族の肖像  文芸春秋、2013
を参考にしよう。この書の冒頭の、小沢の元妻の書いた手記は、本書の一つのウリである。そこで「和子」は書く。
・・・8年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才を過ぎました。3年付き合った女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引き取れと言われたそうです。それで、私との結婚前から付き合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。小澤が言うには、この●●●●と言う人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして「どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう」と言い、謝るどころか「お前に選挙を手伝ってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな」と言われました。挙句「あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」とまで言われました。
その言葉で、30年間皆様に支えられて頑張って来たという自負心が粉々になり、一度は自殺まで考えました。息子たちに支えられ何とか現在までやってきましたが、今でも悔しさとむなしさに心が乱れることがあります。」
それから手記では、福島の原発事故の後、県民をおいて自分たちだけが逃げ出すことを考えている小沢氏を情けなく思い、非難する。
「ところが三月三十一日、大震災の後、小沢の行動を見て、岩手、国のためになるどころか害になることがはっきりとわかりました。」
「こんな人間を後援会の皆さんにお願いしていたのかと思うと申し訳なく恥ずかしく思っています。」

いやはや人間もと配偶者にここまで言われると、もう生きる希望も無くなるのではないか。この手記はオザワさん(仮名)の「厚皮」ナルシストぶりをうまく表現していると思うが、これだけの手記を公にされてもし彼が自殺をしたくならないとすれば、それもまた彼が「厚皮」であることの証左だろうか。