2015年7月3日金曜日

自己愛(ナル)な人(21/100)

新幹線の中で、「毒婦」の残りの部分を読んでみた。実はきのう書いた分のせいで、考えが進んだ。木嶋は明らかに自己愛的な要素を備え、サイコパス性を有し、そして女性的な魅力を備えていた。自己愛的な要素とサイコパス性は一応独立したファクターだ。それは昨日の「追加部分」で書いたとおりである。しかしその上で言えば、サイコパス性は、自己愛的な要素を「助長」しているのである。それはどういう意味か。
 サイコパスは不安や恐怖が欠如していると述べた。それが彼らに妙な精神の安定や自信を与えるのである。木嶋佳苗の場合も、傍聴席で見る彼女は落ち着き払い、動揺することが少なく、それが彼女に独特の存在感と自信を与えていた。女性の傍聴者の中には、そのような木嶋に惹かれ、遠方から訪れる人もあったという。ふつうなら自分の運命がまさに左右される裁判に臨み、不安になったり動揺したりしてもおかしくない。ところが木嶋はむしろ自分がどう映るか、どのように見られているかを意識し、髪形や服装や靴に気を配っているようであった。この妙な、おそらく正当な根拠のみじんもない落ち着きと自信は、彼女が生理的、精神的な動揺を感じていないということと深く関係する。誰でも打ち解けた仲間と会話を楽しんでいる時には緊張せずに素の自分をさらけ出すであろう。それを彼女は法廷でやってのける。しかも動揺していないために精神のエネルギーをいかに人をだまし、自分のコントロール下に置くかに費やす事が出来るのである。
では木嶋の自己愛の部分はどうか。彼女は「頭のいい」人間である。自分がなれるはずのない姿は思い描かない。自分が美人でないことは最初から認めている。彼女が特に雄弁になるのは、自分のセックスの能力であり、これについてはよどみなく語ったという。
弁護士:「(男性は)感想を言いましたか?」
木嶋:「はい。今までした中で、あなたほどすごい女性はいない、といわれました。」
そこで傍聴席の空気が変わり、皆がぐっと身を乗り出した、と北原は書く。
「男性たちには、褒められました。具体的には、テクニックではなく、本来持っている機能が、普通の女性より高いということで褒めていただくことが多かったようです。」
社会勉強が足りないために、私は木嶋が言っていることがさっぱりわからないが、なにかとても自慢していることだけは分かる。殺人の被告として証言している女性が、ここまで言うだろうか。ここまで人は自己愛的になれるのだろうか。しかしそれ以外にも彼女はピアノはプロ級、料理の腕も一級品、と自分を売り込み、また実際の実力もそれなりに備わっていた。また彼女の書く字は端麗であったという。
木嶋の成育歴にもほかのサイコパスと同様の特徴がみられる。というか成育歴上の特記すべきトラウマや虐待が見られないという点でである。 木嶋は18歳で上京するまで、北海道の東の果て、別海町で過ごす。製材業を営む父親、ピアノの教師の母親のもとに生まれる。三歳、八歳下に妹、六歳下に弟が出来る。下の子供たちの面倒見のいい、「いい子過ぎる」長女。父親を愛していたが、母親とは情緒的な距離があり、高校時代には一人で家を出て祖母宅で過ごすようになったという。
 以前にサイコパス性は幼少時から見られると書いた。木嶋のそれはさほど目立たない形ではあるが、すでにかなり若いころから発揮されていた。すでに彼女に関しては高校時代から売春に手を染めていたといううわさがあったというが、陸の孤島にも近い狭い町ではあまり派手な動きは出来なかったのであろう。
むしろ才能を発揮したのはお金を引き出す方面だった。中学3年の時、家族ぐるみで付き合いの会った家庭から印鑑と通帳を持ち出し、60キロ離れた根室の郵便局までタクシーを走らせ、300万円の預金を引き出そうとして捕まった。わざわざタクシーで乗り付けた女の子はさすがに職員に不信がられ、そこから発覚したという。しかし3年後の高校3年時には、再び同じ家から通帳と印鑑を盗み出し、現金700800万を引き出すことに成功してしまう。返済した父親はさすがに、自分の娘が手の負えない存在であるということに気が付いたという。この大胆さ、図太さ。人を殺めたという記録はないが、木嶋はすでにサイコパス的才能を開花させていたといっていい。決して「たたき上げ」ではない、もって生まれた才能としてのそれを。